Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は泊り込み幹事会

2016年03月12日 22時17分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日も昨日と同様に寒かった。横浜の最高気温は8.4℃と昨日よりは2℃高かったが、風もあり、体感温度は変わらないと思った。平年の最高気温より4.5℃低いそうである。
 本日は金時鐘氏の講演の後、関内・日本大通りからみなとみらい経由で横浜駅まで歩いてみた。途中ビル風が強く、ダウンコートの襟を立てて歩いた。桜木町駅近くでは何かのコンサートかイベントでもあったのだろうか、大勢の若い人が歩いていた。皆厚いコートの前ボタンをきっちりと閉めて寒そうに歩いていた。
 横浜駅東口でベトナム料理店に入った。海鮮フォー900円也を食べた。他のベトナム料理店より日本人好みのようにアレンジしてあったが、美味しかったと思う。講演会が二人で1000円で済んだので、気が緩んで桑の実入りの赤ワイン490円も飲んでしまった。
 入った時はすぐに席に案内されたが、帰り際には店の外まで並んでいた。結構人気の店であったようだ。

 明日は団地の理事会の諮問機関の会議、それを途中退席させてもらって、退職者会の泊り込みの幹事会・学習会に向かう予定。場所は神奈川県足柄上郡大井町。11時少し前には相鉄線横浜駅を出て、13時前に新松田駅に集合し送迎バスで15分かかるらしい。
 14日(月)は午後には解散であるが、おそらく海老名駅または横浜駅で打ち上げの飲み会の可能性がある。

 明日も曇りで気温は本日とほとんど変わらないらしい。

「日本と朝鮮のはざまで」(金時鍾氏講演)

2016年03月12日 20時25分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日は横浜市開港記念会館で、詩人の金時鐘(キム・シジョン、1929~)氏の大佛次郎賞受賞記念の「日本と朝鮮のはざまで」という講演会。開始時間の20分ほど前に会場に着いたらもう会場にはかなりの人が入っていた。私は事前に予約していたのですんなりと入れたが、定刻には満席となっていた。補助席も含めて340余席はすべて埋まっていた。
 金時鐘氏は今年87歳になるとは思えない張りのある声で、立ったまま90分の講演&質疑をこなしていた。
 内容は1945年8月15日の「朝鮮解放」=日本敗戦、1948年済州島「四・三事件」、そして時には1980年「五・一八光州事件」とが相互に交錯しながら、1945年と1948年の実体験の重みをもって講演が進む。
 1945年の時点での皇国少年、1948年の時点では「南朝鮮労働党員」、戦後の在日朝鮮人活動家としての活動の中で詩を書き続けた根拠を掘り下げていく。
 「20数年前に自伝を書けと言われたが、四・三事件に触れれば軍人出身の韓国大統領の施政下、南朝鮮労働党員であった私が表に出ると住民蜂起の正当性を損ね、李承晩政権の共産暴動という位置づけを裏付けてしまうのではないかというためらいがあった。さらに不法入国ということが明らかとなり強制送還される恐れもあり命が惜しかった」という言葉から戦後の生き様の重みが伝わってくる。
 「思い出は「毬栗の毬」を心の奥に抱えたようなもの。発狂するか、自殺するか、ギリギリの精神で作詩することで日本での生を持ちこたえてきた」ともいう。
 四・三事件を語ることで、親族や両親、仲間の死とどのように向かい合い、氏自身の回生につなげたか、「死んだ者の鎮魂は現地の産土の神を祀ることでしか果たせない」という言葉は、東北の犠牲者の鎮魂にもつながることばであったように思う。

      

ショパン「ピアノソナタ第1番、子守唄、舟歌外」

2016年03月12日 11時35分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 ショパンのピアノソナタ第1番は18歳の時の習作に近い作品と解説に記されている。私も購入したころに一度だけ聴いてその後は聴いたことが無い。本日あらためて聴いてみた。第1・第2楽章は私には退屈に聴こえる。同じような動機が抑揚なく続いているような印象である。しかし第3楽章がとても不思議な雰囲気である。長いようで間延びしているメロディと思われるが、のんびりしたい時の息に沿う平坦な起伏である。
 解説には5/4という珍しい5拍子を採用しているとのこと。チャイコフスキーも第6番の交響曲の第2楽章で使ったことのあるスラブ調のワルツに見られる拍子だそうである。曲の雰囲気はまるで違う。たぶん3拍子+2拍子でひとくくりのリズムだとおもう。静かなに終始したのち、突如としてフィナーレがフォルティッシモのブレストで始まり、一気に最後まで突き進む。生がいいというか、疾走感があるが起伏はない。
 子守歌、舟歌はどこかで聴いたことはあるはずの有名な曲。子守唄・舟歌をショパンはそれぞれ1曲しか作っていないのだそうだ。ジョルジュサンドとの破局・別れが近い頃の曲でその感じが漂うという解説に納得してしまうような寂しさがある。当然ではあるが子守唄には私は眠くなってしまう。舟歌が好みである。
 このCDも録音は1970~83年にまたがっている。いつ購入したのかはすっかりわからない。