Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

腰の痛み再発

2016年03月04日 22時26分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 腰の痛みがひどくなった。風邪がやっと治ったと思ったら今度は腰の痛み。いつになったら体の動きが元に戻るのであろうか。だんだん自棄になってきそうである。本日からは湿布をするようにした。以前腰が痛い時に整形外科から処方された痛み止めは、3日分くらいは残っていると思っていたが、すでに無くなっていた。
 前にも記したが、どうもこの近辺に頼りになる整形外科医がいない。歩いて30分のところにある整形外科は流行っている。昨年山で左ひじを強くぶつけて「骨折か」というときにかかった医師である。てきぱきしていて説明も納得できる医師なのだが、腰の痛みの身では歩いていくには遠い上に、直通のバスもなく、そしてとても混んでいる。評判がいいのであろう。
 本日そこの病院で受診しようとも思ったが、何となく出そびれてしまった。湿布薬はかなり残っているので明日・明後日はこの湿布で対応するつもりでいる。
 明日はみなとみらい地区での講座である。本当はいつものとおり歩いて往復したいが、電車を使わざるを得ない。

明日の講座「東アジアの冷戦体制と戦争記憶の民主化」

2016年03月04日 18時14分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 Bunkamuraザ・ミュージアムの「ラファエル前派展」、山種美術館の「ゆかいな若冲、めでたい大観」を見に行きたいと思っているうちに会期末となってしまった。明日土曜・明後日日曜がともに最終日なので、多分人出が多い。腰がつらい状況では残念ながら断念せざるを得ない。村上隆の「五百羅漢図展」、東京駅のステーションギャラリーの「ジョルジョ・モランディ展」も同様である。ここ2~3日は遠出はしたくないし、無理のようだ。
 ボッティチェリ展は4月3日までなのでもう少し時間がある。カラバッジョ展は始まったばかりで6月が会期なのでこれもまだゆとりがある。
 ということで、明日もしも腰の状態が許せば横浜のそごう美術館の「院展」という選択があると思いついた。
 まずは明日の腰の状態と、混雑の具合で決めるしかない。
 今週は予定がないと早合点していたら、講座が13時から14時半まであった。昨日気がついた。忘れて欠席ということになっていたかもしれない。
 みなとみらい地区で行われる講座は「東アジアの冷戦体制と戦争記憶の民主化」(講師 米谷匡史東京外国語大学教授)。帰りがけにそごう美術館に寄ってみたい。

ショパン「ワルツ全集」(アシュケナージ)

2016年03月04日 13時32分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


ショパンのワルツは実際の舞踏会用の音楽から、抒情性あふれる独奏用ワルツへと変身したワルツであると、教わってきた。
 だからエピソードとしてよく語られているシューマンの言葉といわれる「(舞踏用として用いるとしてもショパンのワルツは)ワルツに合わせて踊るのであればその相手は貴(伯爵)婦人でなければならない」の意味が私にはよくわからない。
 とても舞踏用とは思えないワルツはかなり高度に訓練された人間でなければ対応できない、と私が感じているのが間違いなのか、といつも不思議に思う。そのようなエピソードにこだわる必要はないと思いつつ、このエピソードの意味するところをどなたか解説してほしい。
 さまざまな解説を見ると「大ワルツ」と云われる第1、2、4、5、14番が実際の舞踏会用の作品で、他は「作曲家の内面を表現した抒情詩」と云われる。
 「内面」と何かと云われると私はとても困惑する。第6番の「子犬のワルツ」のエピソード「ジョルジュ・サンドの買っていた子犬が自分の尻尾を追ってぐるぐる回る様子」とがあるが、ショパンはきっとそれが「内面」と云われて大いに面喰っているであろう。
 ショパンにとってさまざまなジャンルの形式の曲をピアノの表現の手段として活用する中でワルツという形式、リズムが大いに気に入ったいたと思われる。ピアノ特有の細かいパッセージの多用、複雑な和声と旋律の進行が可能なピアノによってもたらされる躍動感、華麗さなど、ピアノの表現を大きく広げたといわれるショパンの評価に沿った専門家の評論が是非とも知りたいと思うとともに、それを踏まえた解説を私は大いに望んでいる。

 このCDはショパンの作曲年代ごとにアシュケナージが録音したものを曲種ごとに再編集したものである、と記載されている。しかし録音年代は具体的には記されていない。