Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

久しぶりに外飲み

2016年03月03日 23時01分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
本日はだいぶ酔ってしまった。行きは東横線が遅れ、今もまだ影響が残っている。さらに東海道も京浜東北も遅れが出て、往生した。
短時間ではあったが、久しぶりの外飲みであった。こんな時間に酔って電車に乗り、同じように酔っている人の生態を見るのは何十日ぶりであろうか。なんとなくホッとしている。似たような人がいると嬉しいものである。
むろん酔っぱらいばかりではない。シャキッとしている人もたくさんいる。半ば申し訳ない気分もある。
さて、明日も取り立てて予定が入っていない。学生の頃の春休みの気分。
但し来週はまたあわただしい。

腰の痛みをどうしようか。情けないメタボである。

横浜の中央卸売市場本場にて昼食

2016年03月03日 17時25分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ウォーキングに行く予定であったが、妻の予定が変更になって、横浜市中央卸売市場本場まで出かけた。以前から市場内の食堂に行こうと誘っていたのだが、その気になってくれなかった。ようやくその気になったので「嫌だ」とは言えずに、しかも買い物にも付き合うことになった。
 暖かい陽射しでいくら薄いダウンとはいえ汗ばむほどの陽気となった。

      

 10軒ほどの食堂街は12時には列ができていたが、それほど待たずに入ることができた。入ったのは食堂の並びの一番奥の「もみじや」。値段も安く清潔な店内に惹かれた。私は刺身定食A750円、妻は海鮮丼850円、それにモルツ中瓶550円也。妻は店を出てから「ひな祭り限定メニューちらし寿司850円」に気がついて悔やんでいた。
 場内には伏見稲荷が市場関係者によって伏見稲荷神社が勧請されている。傍にはヒイラギナンテンが幾株も植えてあり黄色い小さな花を咲かせていた。

   

 帰りは市場の近くにある乾物店で海苔などを購入、東神奈川駅近くのスーパー2店で買い物。大きくて重いものを持たされてようやく帰宅。

 これから月に一度の飲み会で新宿まで。
 少々腰に痛みが出てきたが、風邪の体調不良でほぼ2カ月体を動かすことができずに寝ていたために体重がかなり増えてしまったのが原因のようである。真剣に減量しなくてはまずい状況らしい。



「恩地孝四郎展」(その9)

2016年03月03日 10時41分38秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 恩地孝四郎展の感想は前回の(その8)で終了と思っていたが、肖像作品を取り上げるのを忘れていた。私は抽象作品の方に惹かれていたので、敗戦後特に1950年代の最晩年の作品を取り上げた時点ですっかり肖像作品について失念してしまった。
 萩原朔太郎と北原白秋、恩地孝四郎が親しくしていた詩人である。1942年に相次いで亡くなり、ふたりの追想像を作成しているとのこと。今回の展示では前年の白秋像と、この時に作られた朔太郎像が展示されている。
 2点並んだ方の刷りは、左が1949年に版画家関野準一郎による摺り、右が1955年の伝統木版摺師の平井孝一の摺り。そしてもう1点が作者本人による1943年の摺り。どちらも同じ版木を使っているとのことである。
 恩地孝四郎は萩原朔太郎の印象として「初めてあったときに何て皺の深い人だろうと思つた」という。背景の地、顔の地色、頭髪、皺、両眼・口唇など8面に及ぶ版木があるとのこと。「滄浪として人生の巷を歩む彼の悲壮な晩年」と朔太郎を評している。
 「皺の深い人」というだけでなくその深い皺をとおして朔太郎の作品を彷彿とさせる肖像作品と思える。
 本人の摺りは迫真性がある。摺りの出来栄えとしては彫り師の作品が完成度が高いかもしれない。顔のまわりの白によって顔が浮き出てくるし、光の当たる顔の部分と皺の対比も、そして髪の毛の具合もバランスよくできている。しかし迫真性という点では作者本人刷りの方に分があると思える。だが、誰の摺りであるか分からなければ、私には区別も優劣も付けられない。
 いづれにしろ、昔読んですっかりご無沙汰している萩原朔太郎の詩集を紐解きたくなる肖像であることに間違いはないとおもう。
 抽象作品とこのような迫真性ある人物像が共存している画家・版画家、とても魅力がある。