Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

新年度からの講座

2016年03月05日 22時01分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日、横浜のそごう美術館にて院展を見るつもりでいたが、携帯のメールの不具合を直してもらおうとして、店で1時間以上待っていたので時間切れで断念。
 もっとも今月27日までが会期なので十分に間に合う。折角無料招待券を手にしたので、時間を作って久しぶりに見に行きたい。

 先ほどネットで神奈川大学のエクステンション講座の4月からの講座を申し込んだ。6講座申し込む予定だったが、申込みが完了した講座は5講座。1講座は電話での受付となっており、月曜日に持ち越しとなった。すでにいっぱいなのであろうか。チョイと心配である。さらにあと2講座について興味はあるのだが、思案中である。
 5講座ないし6講座とすると、これまでの半分である。金銭的にも日程的にも楽にはなる。
 
★連続講演会 沖縄を知る──歴史・文化・社会
【目取真俊、安藤礼二、小森陽一、西谷修、アーサー・ビナード】
★平家物語のこころに親しむ その10   【鈴木彰】
★知っておきたい!ルネサンス美術の魅力   【三沢恵子】
★特別講演会 ほんものの民主主義とは何か   【浅野史郎】
★特別講演会 東日本大震災から5 年 被災地復興の現状と課題   【松田磐余・佐藤孝治】


横浜緋桜

2016年03月05日 20時22分32秒 | 山行・旅行・散策


 横浜駅まで腰痛をだましだまし歩いてみた。暖かったのと講座が始まるまで余裕をもって家を出ることが出来たので、ゆっくり歩くことが出来た。



 明るい陽射しの中、旧東横線沿いにできた緑道に植えられている「横浜緋桜」が気持ちよさそうに咲いていた。いつもはもう少し早めに花が咲いていたように思ったが、記憶違いであったか。散り始める直前のような状態で、満開の頃合いだと思う。見頃といっていいかもしれない。むろん桜であるから咲き始め、散り際も大いに風情がある。この横浜緋桜、ソメイヨシノに比べて花の時期は長い。
 さいわい横浜駅まで腰の痛みが出ることもなく歩くことが出来た。
 一家で外食という贅沢をして先ほど帰宅。



 携帯電話のメールの受信の不具合というのは、メールそのものが消失したわけではないが、サーバーへの問い合わせを頻繁に行わなければな受信できなくなったことである。とても面倒である。本日行った店では、原因がはっきりしないまま、SIMカードを取り換えてみる、ということになった。しかし試験的にメールを送信したがどうも改善されていないようだ。暫く様子を見た上で必要なら再度修理を依頼するしかない。その時は本日の店とは別の店に行ってみたい。


【追記】横浜緋桜について、次のような解説を見つけた。

★横浜市環境創造局のホームページから
【生みの親】
  桜の新品種作りに取り組んでいる白井勲氏(港北区高田町)。
【特徴】
  ・花は赤みが強く大輪、下向きに咲きます。
  ・染井吉野と同じように、葉の出る前に花が咲きます。
  ・開花期が早咲き・中間咲き・遅咲きの3タイプがあります。(花の形態は同じ)
  ・早咲きは3月20日ごろから咲きはじめ,遅咲きは4月10日ごろから咲きはじめます。
  ・小学校で入学式のころに満開になるものを植えたい時には、中間咲きのものを植えます。

【経緯】
 昭和47年ごろに早咲き種の鮮やかな紅色の寒緋桜と病気に強い山桜(兼六園熊谷)という種類)を交配させ、それぞれの系統の利点を備えた丈夫で美しい桜が誕生しました。
 昭和60年1月、その桜は、横浜の名を冠し、花の色の特徴を表す,「横浜緋桜」と名付けられました。
 そして農水省に種苗法に基づく品種登録がなされました。
 平成8年4月2日には横浜公園開園120周年を記念して横浜緋桜の植樹式が横浜公園のこどもの遊び場付近で、横浜市長(高秀秀信)、横浜緋桜の生みの親の白井勲さんが参加して行われました。
 平成9年11月12日には品種登録された最初の木(原木)が白井勲さんから中区制七十周年記念実行委員会に寄贈され,本牧山頂公園東側の芝生広場に植栽されました。

「見出し」の美学

2016年03月05日 10時48分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 腰の痛みは少しだけ軽くなったようである。本日の13時から14時半は講座で出かける。妻ではどうも本日の昼は、私の母親と妻と娘の3人で昼食に行くらしい。私のいないところで3人、仲がいいのは嬉しいが、話のネタは私になることは間違いなさそう。クシャミの連発に備えてティッシュとハンカチは忘れてはいけない。クワバラ、クワバラ。

 さて先月にスマホのメールのアプリがバージョンアップしたのだが、それ以来自動受信にならない時が頻発している。設定は受動受信になっているにもかかわらず、こちらから問合せをしないとメールが届かない。常時ではなく自動受信する場合もある。
 帰りがけに店におもむいて調べてもらった方が良いようだ。

 今や携帯のメールはなくてはならないものになっている。携帯に直接入ってくるメールは親族・友人からの連絡、気象予報・警報注意報、行政からの災害情報、そしていくつか契約しているフリーメールからの転送(美術館・博物館情報、組合からの連絡、いくつかの新聞社の報道記事、そしてツィッター情報‥)と毎日30通近く受信する。
 親族・友人や組合関係からの連絡はすべて目をとおすが、その他は表題だけ見て関心をひくものだけ見る。

 私にとってはこのメールの表題、あるいはニュースの見出しというものの重要性が増している。私個人に限らず、目をとおす記事の取捨選択は、情報過多の時代にとっては社会全体の要請が強くなっている。
 電車の中の吊り広告と同じで、表題を見て大体の見当はつく。ただ最近は新聞でも雑誌でも意味の通じない見出しが多くなった。こちらが自覚的に見出しだけを見るようになったことも原因かもしれないが、無理に短くして主語が分からなかったりする。本文を読ませるための工夫とはとても思えない。見出しの美学が崩れているとしか思えない。
 スポーツ紙を見る限り、見出しの美学が視覚、レイアウトの美学に陥っている。記事の意味を伝えるための美学を喪失している。そしてそれが、一般紙の政治面、社会面にまで波及してしまっている。政治家の言辞がますます劣化しているが、マスコミの文章もますます劣化している。
 もっとも古い新聞や雑誌を丹念に追ったわけではないので一概に上記のような結論は飛躍しすぎかもしれない。果たして真相はどうであろうか。

 もうひとつ気になることがある。美術展に行く機会をたくさん作っているので、美術展のチラシを丹念に目をとおすようになった。展覧会であるからむろん多くの人に来てもらわなければ経営として苦しくなる。だが、「誰それの最高傑作」だの「美術史上の記念碑的作品」、「来日は最初で最後」などのドキッとするような副題がつけられているものがある。あるいは「誰々展」と称して副題にはちゃんと「誰々と同時代展」となっていて目玉はわずかな点数であったりする。
 美術愛好家が離れていかないような自制、それこそ美学をもってもらいたいものである。