Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日・明日、薄着は禁物

2016年03月09日 22時04分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は特に寒く感じた。昨日が暖かったせいもあるが、昨日の暖かさが頭の片隅に残っていて、ついいつものとおり薄着で出かけてしまったのが原因。ほとんどがビルの中で過ごしたので支障はなかったものの、帰りがけに冷たい雨が降る中を歩いて、薄着を大いに反省させられた。多分風邪のぶり返しにはならないと思う。
 明日も曇り空で夜には再び雨が降るらしい。気温も最高気温が12℃と本日よりも寒い予報が出ている。

 退職者会ニュースの校正刷りが印刷所より送信されてきた。一部手直しをしてもらって先ほど印刷についてゴーサインを出した。今回は予定よりも早めに校正刷りにこぎつけることが出来た。来週中に印刷が終り、組合の会館に配送になる予定。

 実は昨日講座の帰途にもウォーキングをしようと思っていたのだが、講座終了後に「屋須弘平展」を見ていたら、友人から連絡があり急遽新宿まで出かけた。「屋須弘平展」は来週また講座のある時に見たいと思っている。
 それでも歩いた歩数は1万9千歩。目標には届かなかったが、それなりに運動にはなった。本日もまたウォーキングをしたかったが、仕事が長引き、さらに雨ということで断念した。明日は出来るであろうか。
 明日は特に予定はない。午前中はCD三昧、午後はウォーキングと読書、夕方には図書館への図書返却が出来ればいいのだが‥。

「ハーメルンの笛吹男」(阿部謹也)読了

2016年03月09日 20時40分17秒 | 読書


 さて、「ハーメルンの笛吹男-伝説とその世界-」をようやく読み終えた。読み終わるのにとても時間がかかった。その原因は最近読書の能力が視力の減退もあり衰えたが、それ以上に読み飛ばすのがもったいないと感じたことも挙げられる。それがおもな原因で時間がかかったと云える。じっくりと話の展開を味わいたかった。同時に石牟礼道子の解説にとても惹かれた。
 ルネッサンス美術を理解するのにその前の時代、ヨーロッパ中世についてもう少し知識があった方がいいのではないか、と考えてたまたまBunkamuraのショップに阿部謹也の著書が幾冊か並んでいるのを見て、さっそく古本屋で幾冊か手に入れた。本来ならばルネサンス期の時代を開設した書物を読むのが当然だとは思ったが、このような回り道というのも読書の楽しみである。ヒエロニムス・ボスなどの作品を見ると中世の時代を色濃く引きずっている人びとの暮らしぶりなどが気にかかってしまう。そんなことで読み始めたが、阿部謹也の著書、また引き続き読んでみたいと思う。
 阿部謹也と石牟礼道子、二人の優れた文章を同時に目をとおすことが出来たのは楽しかった。とりあえず読み終わったという報告だけをして、感想ないし気に入った個所の引用はまた後日にしたい。

      

写真展「屋須弘平-グアテマラ140年のロマン-」

2016年03月09日 09時56分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 昨日講座が行われた会場のアースプラザ3階で写真展「屋須弘平-グアテマラ140年のロマン」を開催していた。
 屋須弘平という人の名は初めて目にした。チラシによると屋須弘平(1846-1917)は仙台藩の蘭学医の長男として現在の一関市に生まれ、江戸で医学・天文学を学んだという。1874年の金星の太陽面通過のメキシコ観測隊の通訳を務めた後、天文学者をめざしてメキシコに渡り、後グアテマラに移住してアンティグラ市で写真術を学び写真館を開設したカメラマン。1976年のグアテマラのアンティグア市の大地震の際に写真原板数百点が発見され、写真家としての功績が明らかとなった、と記されている。
 1891年グアテマラの人と結婚、洗礼名ファン・ホセ・ヘスス・ヤスとして生涯を送り、1917年にグアテマラで死去。
 まず横浜の野毛山にある金星の太陽面通過の記念碑の存在に関係のある通訳をした人が仙台藩出身で、しかも天文学を志してメキシコに行ったということが私の興味を大いにそそった。
 さらに天文学から写真家に転身したということにも驚き、高橋是清の要請でペルーの銀山開発にかかわったりしたという経歴もあるとのこと。

 本日は時間が取れず、わずか5分で会場内を一周しただけであった。来週もう一度講座受講のためにアースプラザに行くので、その時にじっくりみたいと思う。詳しいパネル表示がある。しかし受付の人に問い合わせたが、図録やパネル表示を収録したパンフレットは無いという。次回カメラをもってそれらを撮影したいと思っている。写真撮影が可能であることを願いたいものである。しかしこれだけの展示でパンフレットがないというのはさびしいものがある。