Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

雨の日曜日

2016年03月06日 22時01分34秒 | 天気と自然災害


 さいわいにも私の雨の予感は外れて、今晩はあまり強くはならないようだ。国土交通省XバンドMPレーダネットワークのXRAINの画面によると、静岡県の海岸沿いから東京湾、そして霞ケ浦にかけて長い雨の区域が連なっている。この帯が若干南北に振れながら南西から北西に向かって雨の区域が移動している。前線としては停滞している。
 さいわい今のところ横浜市内ではそれほど強くなっていない。

 本日はショパンのポロネーズ、買い物、そして若干の読書で終日過ごした。
 明日も予定はないが、横浜駅まで出かけたい。しかし雷を伴う雨という予報もあり、その場合は引きこもり生活であろうか。

 早めに読み終わりたい本はたくさんあるのだが、やはり目が弱くなっているのか、読書能力が著しく衰えているのか、なかなか思うように進まない。緑内障の進展は止まっているので持題はないが、目の疲労はたまっているようだ。その原因は、このブログの記事をつくるためにパソコンの画面を見過ぎていることだとは思う。うまくいかないものである。

 明日は何の音楽を聴こうか、今のところ結論はない。

横浜では強い雨となりそう

2016年03月06日 17時57分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 腰の痛みは筋肉の痛みから、筋肉のダルさに代わってきた。腰の筋肉に鋭い痛みがあったものが、鈍痛に代わってきた。これまでの経験から判断すると一応峠は越えたと思う。ギクッとなる恐れを抱きながら恐る恐る過ごしているよりは、ずっと楽になった。
 夜寝る前に無臭の湿布薬を塗る。朝目覚めて後、10時ころに湿布薬を貼る。夕方には張ったものははがさないと赤くあざとなる。これを繰り返している。
 本日は天気が夜から崩れるとのことで、崩れる前に買い物を済ませようと14時過ぎにスーパーに出かけた。しかし帰りがけに雨が降り始めた。やむなくタクシーで帰宅した。ワンメーターだったとはいえ、傘も持たずに出かけて失敗をしてしまった。
 つい先ほどから弱い雨が降ってきたが、「レインアイよこはま」を見ると南西の鎌倉付近から強い雨が降っている区域が北上してい。かなり強い雨となりそうである。
 明日は終日雨模様の天気予報となっている。最高気温は14℃、本日よりは低いらしい。

 定期購読を申し込んでいた国立近代美術館ニュース「現代の眼616号2-3月号」が先ほど届いた。ジョアン・ミロの絵画詩のひとつ「おお!あの人やっちゃったのね」と昨年の「てぶくろ|ろくぶて」展についての論考があり、香月泰男の作品も取り上げている。こんばんはこれを読みたい。

ショパン「ポロネーズ全曲」(アシュケナージ)

2016年03月06日 13時24分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 ウィキペディアの解説を要約すると次のようになる。
 「ポロネーズは、フランス語で「ポーランド風」の意で、マズルカと並んでポーランド起源のダンスまたはそのための曲の形式(舞曲)。テンポがゆっくりな4分の3拍子で、もとはポーランドの民族舞踊であったが、ひとつの様式となってヨーロッパで流行。典型的なポロネーズは荘重でゆったりした4分の3拍子で、第1拍が16分音符で細分されているのが特徴であるが、初期のものは必ずしもこれに従わず、2拍子のものもある。現在のリズムが定着したのは古典派の時代である。ダンスは三拍目の最後に挨拶をして締めくくられるため、三拍目の初めの拍(弱拍)で終結するのが特徴」。



 さらに「ヨーロッパ各国の宮廷に取り入れられ、フランス宮廷からポロネーズの名が広まった。また純器楽曲としても作曲され、初期のもので有名なのがJ.S.バッハの作品(ブランデンブルク協奏曲、フランス組曲、管弦楽組曲など)である。さらにベートーヴェン、ウェーバー、シューベルトらも作曲した。また、舞曲ではない「ポロネーズ風」という表記を付けた曲も多い」
 これらの宮廷音楽として洗練されたものとは別に、ポーランドの政治的な独立運動と連動して作られてきたポロネーズがショパンの手でヨーロッパ音楽として再生されたと云われている。ショパンのアイデンティティーとしてのマズルカと並ぶ様式である。
 解説によれば、この当初のショパンのアイデンティティーとしてのポロネーズは第3(軍隊)、第4、第6(英雄)ということになるらしい。一方で対極にあるのが、第5、第7ということである。印象からすると第1、第2も同じ部類かもしれない。
 ワルツもまた舞踏会用と、ワルツという形式を借りた演奏会用独奏曲に分類されるというが、同じことがポロネーズにも当てはまると解釈していいのだろうか。
 確かに私は外に向かって人の気分をひとつにまとめようとするような舞踏会用ワルツと同様な気持ちで第3(軍隊)、第6(英雄)を聴いた。第4がどちらに当てはまるかは悩ましい。
 私は初めて聞いた時から第5、第7に惹かれている。特に第7というのはポロネーズという形式から大きく飛躍して、それこそ演奏会用独奏曲として大きな飛躍をもたらしたように感じている。
 私の気分は、第2→第4→第5→第7という流れがショパンの表現の基本的な発展過程で、第1、第3、第6は政治的な意識が先行した脇道のような気もする。ただし第1、第3、第6の親しみやすい表現、人の気分を駆り立てる表現というのを否定しているつもりはない。それはそれでひとつの音楽のジャンルであることに変わりはない。そしてそれらを含めて全体がショパンの音楽である。
 なお、解説によれば第8~第16までは若い頃の習作である。ただし早熟なショパンにとっては18歳(第9、第10)、19歳(第16)のころの作品は十分に成熟した表現をしているはずである。ポロネーズとしての習作ととらえればよいかもしれない。
 このCDはこれまでと同様にアシュケナージによる全集版からの編集。録音時期は1976年から85年にかけて約20年にわたっている。