Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は雨、昼から中華街

2017年02月04日 23時50分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日の予行演習をしながら早めに就寝しようと思ったが、いつものとおり結局24時近くになってしまった。
 明日は10時前に家をでる。帰宅は18時過ぎだろうか。たぶん酔っぱらっているので、そのまま夕食は食べずに、ベッドへ直行となりそう。
 坐骨神経痛の痛みが出ないといいのだが‥。しかも昼過ぎから夜中まで雨がふるらしい。

節分と立春

2017年02月04日 22時02分04秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★春立つやこころのゆるぶときもなし    石田波郷
 波郷の句、詞書に「中隊転属、商河」とある。立春の日に中国戦線で慌ただしく転属などが行われたのであろう。立春という春に向かう希望の日とはうらはらに切羽詰まった緊張感が漂う句である。季語のイメージとは違う体験を強いられた病を抱えた俳人はどのように戦争を潜り抜けて来たのだろうか。
 また次のような句もある。

★豆を撒く吾がこゑ闇へ伸びゆかず     石田波郷
立春の前の日の豆まきの行事、肺結核で入院中の句であろう。大きな声は出ず、か細い声が闇夜に弱々しく響く。作者の弱った体にこたえる豆撒き行事であるのだろうか。しかし作者はどこか意地になって続けようとしているかのようだ。自分の生存確認のために‥。

★鬼の出た迹掃き出してあぐら哉      一茶
 一方でこんな句もある。鬼がいなくとも、デンと鬼のような主が居座っている。現代の私たちは、このようにあぐらをかいて誰にも掃き出されないような行動がとれる自信はまったくない。またこのような家族関係が当たり前ではない時代に私たちはいる。

坐骨神経痛はつらい

2017年02月04日 18時32分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 坐骨神経痛の痛みはかなりつらい。整形外科で注射を打ってもらうと2日位はいいのだが、すぐにまた痛くなる。思い切っていつも通っている内科の隣りにあるマッサージの店に行った。鍼・灸・マッサージ・電気治療などをしてくれる。以前に膝が痛くなって二回ほど通った。今回も保険を聞かせてくれたが、鍼の保険適用は整形外科との併用では無理とのことを言われた。やむを得ないのだろう。次回からはマッサージと灸でお願いすることにした。灸については無理にお願いしてツボをボールペンで体に印をつけてもらった。今晩からせんねん灸を妻に頼んで試みることにした。気晴らしでも何でも、やってみるに越したことはない、という心境である。
 しかし坐骨神経痛がこんなにもつらいものだとは想像できなかった。マッサージをしてから、みなとみらいで講座と、団地内での打合せに出た。痛みはあるが、朝ほどのひどさではない。
 夜の会議には杖を突いて参加することにした。みんなにいろいろ聞かれるがやむをえない。

 明日に痛みがひどくならないことを「祈るしかない」という言葉がある。人間切羽詰まってどうしていいかわからなくなった時に発する言葉が「祈り」であり、それが「祈る」という行為なのだろう。さて私はどうしたらいいのだろうか。

本日は用件が4つ

2017年02月04日 08時07分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝から慌ただしい。午前中はプリンター修理のための引き取り。午後13時からみなとみらい地区で講座。16時から団地の管理組合の諮問機関の打合せ。夜は管理組合関係の会議。夕食時にお酒が飲めないのは残念。

 しかし一日に4つのことをこなすというのは、久しぶりである。現役を離れるとこういう風な時間のこなし方になるのか、あらためて実感。たった4つのことで時間に追われているような錯覚に陥る。すべてのことが自分の都合、自分の時間配分を中心にして遂行できる、ということばかりしているためだろうか。これを年寄りの特権と考えるか、わがままの成れの果てと自虐的に考えるか‥‥私は後者だと思う。社会性・周囲への寛容が欠如してしまうのが怖い。

 明後日の司会の事前準備というか予行演習をどこかでしたいのだが、時間がうまく調整できそうにない。