Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

遠藤周作「最後の殉教者」を購入

2017年02月11日 22時34分41秒 | 読書
 一日家に閉じこもっているのがとてもつらく感じた。結局16時近くになって、いたたまれなくなり、杖を突きながら横浜駅に出た。やはり多少痛みがあり、痛み止めを飲んだばかりだったので、横浜駅まで歩くのは断念し、バスで行った。有隣堂の文庫本売り場を見て回り、近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら「与謝蕪村」(安藤次男、講談社学術文庫)に目をとおした。



 有隣堂では特に購入する気はなかったが、「最後の殉教者」(遠藤周作、講談社文庫)が眼について離れなかった。税込み529円ということでつい購入。
 遠藤周作という作家は10代後半の頃、「狐狸庵」シリーズの一冊を腹を抱えながら読んだ記憶はある。多分1965年の「狐狸庵閑話」だと思うがはっきりはしない。代表作の「沈黙」「海と毒薬」「反逆」なども読んでいない。「沈黙」が映画化されたとのことが頭の片隅にあったので目に留まったかもしれない。表題作ほか10篇が収録されている。殉教ということでは「沈黙」と通じるものがあるのだろうか。「沈黙」も読むことになるのだろうか。

「遅き日のつもりて遠きむかしかな」(蕪村)

2017年02月11日 21時39分34秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★遅き日のつもりて遠きむかしかな(蕪村)

 この句とても有名である。私も中学か高校の頃に習ったと思う。しかし未だにまだ納得のいく解釈に出会ったことがなかった。遅き日、春の季語である。
 その春の日を昔にたどっていくとさまざまな思い出があり、自分の人生を思い出して懐旧の念がつのる、というのが一般的な解釈である。しかし私は自分の人生を振り返ることと、遅き日との必然性がどうしてもピンとこない。春の日である必要が理解できなかった。夏の日ではいけないのか、秋それも晩秋の日ならばもっとロマンチックではないのか、冬の日ではどうしていけないのか、疑問が湧いてくる。
 安藤次男の「与謝蕪村」(講談社文庫)を読んで少し理解できたように感じた。

 角川ソフィア文庫版ではこの句は1775(安永5)年、蕪村60歳の時の句としている。講談社文庫の安藤次男の「与謝蕪村」では年代未詳としながらも「懐旧」という前書き、「つもりて遠き」という感慨から、晩年の作という推定を行っている。66歳で亡くなっている蕪村にとっては60歳の1775年は間違いなく晩年である。
 その上で安藤次男は蕪村の師である巴人、炭大祇、黒柳召波、などへの追悼の意があると記している。自分よりも先に亡くなった師友など親しい人を偲ぶ、という意味で「つもりて遠き」という感慨は理解できる。
 「遅き日」という語がまさに生きてくる。春の日の遅きとじっくりと向き合いながら、自身の過去と向き合うには、この「遅き日」でなくてはならない。
 さらに安藤次男の解説を読むと、蕪村晩年の頃の泰平ムードを踏まえている、という。芭蕉の頃とは違う市井の町人文化、文人の世界だという。確かに文化の在りようが芭蕉のころと蕪村の時代では異なっている。安藤次男は「泰平の中に乱世の心を求めた芭蕉」という把握をしている。
 その芭蕉には「遅き日」と「懐旧」は似合わない。芭蕉の世界は確かにまだ戦国の世の厳しい乱世の時代が匂っていた。武士の世なのである。人生を流れる時間の密度が芭蕉と蕪村では大きく違う、と私も納得した。芭蕉にとっての時間は「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり」(奥の細道)という文言にも表れている。
 芭蕉の時間に対する感性はとても厳しく濃密である。濃密な時間の流れの中にいる若い時代は、芭蕉のこの厳しい人生観、時間の感覚に吸い寄せられるものではないだろうか。
 10代の私には理解できなかった蕪村の「遅き日」のイメージは意外と芭蕉と蕪村の本質的なところに繋がっていたのかもしれない、と蕪村が亡くなった年齢に近くなってしみじみと思える。そしてそれが江戸時代前半と江戸時代の後半の世相、社会の大きな差なのであろう。
 そして幕末から明治にかけて時代は再び風雲急を告げたのかもしれない。ついでに付け加えるならば、戦後70年の時代もどちらかというとこのような断絶があるかもしれない。


確定申告書類を見ると頭が痛くなる

2017年02月11日 15時40分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 13時には修理の終わったプリンターが到着。さっそく設置して試しに印字したところ、キチンと直っていると思われる。配送のための段ボールやらクッション材やらを妻に手伝ってもらいながら始末してやっと一段落。だいぶ草臥れた。しかし一人で片付けられないというのはとても情けない。
 早めに終わったので当初予定通り、神奈川近代文学館に行こうと思ったものの、無理は禁物ということで、明日の様子を見てから行くことにした。天気も西空に雲が多くなり、日が陰ってきている。
 しかも月曜日は予定が入っているので、無理はできない。

 ストーブの前でボーっとしていたら、昨年分の確定申告書類の記載をさせられてしまった。医療費を除いてとりあえず記載は終了。医療費分の記載は後日回し。坐骨神経痛の痛みではなく、頭が痛くなってしまった。これは体に良くない。

プリンター修理完了

2017年02月11日 11時30分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 さいわいにも横浜市域では雪は積らず、被害は出なかったようだ。
 本日は痛みは少なく、調子はかなりいい。起き抜けは少々痛かったが、筋を伸ばすようにすると痛みがひいて行った。どうも座っていると痛みが出てくるようだ。痛みが出ると筋を伸ばすように前屈姿勢を取ると効き目はあるようだ。しかし医師からはストレッチはまだやめた方がいいといわれているので、本格的なことは出来ない。

 プリンターの修理が終わり昼過ぎに配送されるとのこと。1週間で済んで助かった。延長保証の上限の金額を超えなかっようなので支払いは配送料の3000円で済んだ。修理内容はまだわからないが、多分ヘッドの交換はしたと思われる。プリンターが使えないということはスキャナーも出来ないことでたとえ1週間でも不便な思いはした。

 実は、気晴らしも兼ねて午後に神奈川近代文学館に行こうと思っていたが、明日以降に延期とした。明日、本日のように天気が良く、痛みがなくて、気力が湧いてくるならば、バスを使って訪れたいと思う。
 近代文学館のある港の見える丘公園からの横浜港の冬の景色はなかなかいい。そして近代文学館では、企画展・収蔵コレクション展16「全身小説家・井上光晴展」を開催している。講座やギャラリートークの申し込みも合わせて行いたい。