Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

神経痛の痛みがほとんどなかった

2017年02月23日 22時18分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 出かける直前の11時過ぎになって風が突然のようにおさまった。弱くなった風はとても湿度が高く、団地の階段も道路も湿って滑りやすくなっていた。団地のある高台から下るとどんどん風は弱まり、昔の川沿いの国道に出た時にはすっかり風は止んでいた。こころなしか湿気も少なくなったように感じた。
 朝少し痛みがあり、腰痛体操を腰に負担のかからないように軽く行った。その後、立ち食いうどんをすすり、取材のために松原商店街を訪れ、横浜駅に戻り喫茶店で若干の読書タイムを取ったが、痛みが出なかった。バスで座っていたが、痛みは出なかった。
 帰宅後、ブログに二つの記事を掲載した。1時間ほどパソコン前に座っていたのが悪かったのだろうか。痛みが少し出てきた。あわてて腰痛体操を軽くして、痛みが出ないようにした。
 結局丸一日、痛みをほとんど感じないで済んだことになる。何か奇跡のような時間に思える。腰痛体操で腰をひねる動作があり、力を入れずに実施しているが、腰の筋肉が少し緊張しているのが不安といえば不安である。しかしこのまま痛みが抑え込まれるといいのだが‥。

 15時過ぎに地下街から外に出たら、異常ともいえる暖かさにびっくり。ダウンはリュックに放り込んだ。腕まくりでもしたくなった。
 明日は午前中はマッサージと鍼と灸をお願いしている治療院に行く。約2000円であるが、とても気持ちがいい。施術のあともすっきりする。痛みがなくなっても通ってみたいと思う。
 明日の天気は午前中は晴れ、9℃にとどかずに寒い予報である。

シューマニアーナ2

2017年02月23日 20時24分29秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 シューマンという作曲家はあまり縁がない。ブラームスが好みなので必然的にその名はクララとの関係も含めてよく目にするのであるが、音楽そのものを聴く機会があまりない。「子供の情景」「ピアノ五重奏曲」「ピアノ四重奏曲」「ピアノ三重奏曲3曲」「弦楽四重奏曲2番、3番」などを聴いたが特に感銘が深かったわけではない。。
 伊藤恵はすっかりシューマンの魅力の虜になったらしい。私は伊藤恵のこのシューマニアーナでシューマンを味わうことにしている。
 ひとりの作家や作曲家に飲めるこむというのはなかなかできない。しかし彼女はシューマンのすべてを飲み込みたいという強い衝動に駆られたのであろう。このようなこだわりをわたしは好きである。シューマンを聴きたいから、というよりは伊藤恵のこのこだわり、惚れこみように敬意を表する。

 このCDには「アベッダ変奏曲」「フモレスク」「ピアノ・ソナタ第2番」「プレスト・パッショナート(遺作)」が収録されている。作品番号1と遺作という取り合わせがなかなか凝っている。録音は1988年。

      

本日の読了「「戦争」が生んだ絵、奪った絵」

2017年02月23日 18時08分06秒 | 読書
      

 「「戦争」が生んだ絵、奪った絵」(野見山暁治・橋秀文・窪島誠一郎、新潮社)を読み終えた。読み終えるのに日にちはかかったが、時間そのまのはあまりかかっていない。何しろ神経痛の痛みと新聞編集作業の合間だったので。しかも遺作の作品鑑賞タイムにも時間を取られた。

 最後に収録されてい入る「「無言館」の十三年、眠れる「絵の骨」のこと」(窪島誠一郎)から何か所か心に残った個所を覚書風に‥。

「出身地が判らぬのに、美術学校の卒業年がわかっていたり、戦没年も戦没も分かっているのに、没年例がわからなかったり、一見するとチグハグな調査結果だが、これが実態なのだから仕方ない。複数の資料、関係者の証言から得た砂ツブほどの「事実」をパッチワークのようにつなぎ合わせてみたら、辛うじてこんな数行の画学生の「出自」が浮かびあがったとでもいってらいいか。」

 東京美術学校の卒業生に絞った「画学生」という枠を設けても、このように出身地も、出生年も、戦没年も、戦没地もわからない「兵士」が多くいる。たまたま分かったも「戦病死」や「戦地」にとどく前に亡くなっている「兵士」も多数である。家族に絵が残っているのは幸運なものなのかもしれない、あの戦争と戦後の混乱の実態が浮かび上がる。「画学生」という枠を取っ払ったら、どれほどの数の「未詳」の「兵士」がいるのであろうか。

 「画学生たちの「戦死」は、人間生物学上の死を意味しても、かれらが描きのこした作品がどこかに存在する以上、画家としてのかれらの死は認められないからである。画学生とかぎらず、自己表現を志した戦時下の文学青年や音楽青年、演劇青年も同じだろう。まして複製や映像などの関与も許さず、ただ一枚の画布、一冊のスケッチ帖にきざみこまれた絵画表現は、かれらの命に変わる唯一無二の「生存証明」であることを忘れてはならない。こじつけめくけれども、それは同時に、わが「無言館」が戦死した画学生たちの美術館ではなく、今もそこに生きつづけている絵たちの美術館であるための基本姿勢でもあるのである。当然のことながら、「遺作」の発見はその作品の生誕に立ち合った多くの人々の生の営みをもあぶり出す。」

 作品は死んだ者に属すると同時に、それを保管し、あるいは記憶に留めている人に属し、そこで生きつづけている。そのことを踏まえて掲載された作品群をいくどか眺めていた。

 20代前半に描かれた作品である。私のように絵など描いたことはないが、鑑賞することがこの上なく好きなものからすると、未熟な作品がいくつもある。しかもどれもがその短い生涯はほんの数行で終わってしまうかもしれないが、生々しい生のほとばしりを感じる。特にわかわかしい妻やモデルを丹念に描いた作品にそれを感じる。「生きている」ことの意味を彼らは常に問い続けたことが伝わってくる。

 香月泰男や浜田知明、靉光の作品は見る機会も多いし、いつも頭の片隅にある画家である。そしてその影響は私には大きい。しかし実に多くの画家を志した人々の作品もまた忘れられないものがいくつもある。
 もうひとり忘れられない彫刻家がいる。高橋英吉である。昨年5月に芸大美術館で開催された「いま、被災地から」展で修復がなった、海の三部作「黒潮閑日」「潮音」「漁夫像」(石巻文化センター蔵)の力強さに圧倒された。ガダルカナルで戦死。ある戦死者の遺品の手帳に「先方の台地でいままで重機関銃を撃ち続けていた高橋一等兵が、ガクリと前のめりに倒れたまま動かなくなった」という記述があるという。そしてこの死に行きついた召集令状が舞い込んだころ友人に「天皇などというわけのわからないもののために死ぬことが、なぜ立派なのか。とうてい理解できない」と語っていたという。あらためて30歳にして文展無鑑査となったという高橋英吉の作品を思い出した。この展覧会の感想は昨年の6月26日に記している。

 体が動くうちに、訪れたい美術館である。

横浜に強風・波浪注意報

2017年02月23日 10時28分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜には強風・波浪注意報が出ている。朝6時には南西の風で風速11.4mとなっている。同じころ瞬間最大風速で21.7mというからかなりの風である。気温も9時現在で14℃を超えている。雨は5mm未満の雨であるが、風に乗ってベランダ側の窓ガラスがすっかり濡れている。
 セキセイインコの籠をいったんベランダに出した。部屋の中では、ベランダに出してほしいようで遊具をつついて催促するようにしていたが、外に出した途端に風の音に驚いだのだろう、静かになってしまった。そして下に敷いてある新聞紙が風にあおられてバサバサと音を立てるのに驚いておびえたように仕草をしていた。急いで籠の掃除と餌替えを済ませて部屋に戻した。今はなにごともなかったような顔をしている。
 この風、果たして昼前に止みそうもない。出かける予定があるがすでに心が挫けている。朝行った腰痛体操のおかげかどうかは分らないが、今のところ神経痛の痛みは出ていない。しかし腰から右臀部、右大腿部にかけて筋肉の深部から重たい感じがする。

 当初の予定では明日に退職者会ニュースの原稿を送信する予定だったが、昨日の夜に送信できた。1日半は早めることが出来たが、受け取る方にしてみれば、たいして早くなったとは思っていないかもしれない。もともとこちらが無理な遅いスケジュール設定したのが、いけない。とはいっても原稿を送ってしまうと気分的にゆとりは出来てくる。
 ということで、午前中は風が止むことをねがいつつ読書タイム。