

ここにおさめられている短い10編の小説を読んで私が気になったことに作者・遠藤周作の「眼」というものがある。知り切れとんぼの感想を覚書として簡単に記してみた。
いづれの個所も主人公(=多分作者自身の視点であろう)と他の登場人物との距離感を表している。その距離をどのように測るべきなのか、主人公・作者のたじろぎが込められていると思われる。その距離を縮めることの困難さ、不可能性を暗示する視線でもある。
これは「最後の殉教者」では最後には救われるはずのものと、そうではないものとの距離であったり、日本人と白人、白人と非白人との距離の象徴であったりする。
最後の「役立たず」ではそれは小説家と他の入院患者との関係である。それは知識人と大衆と言い換えてもいい。そして遠藤周作という作家はどうしてもそこに越えられない壁を感じてしまうようだ。戦後すぐの日本人が決して暖かい目で見られることのないヨーロッパに留学した体験、それも敗戦国、後進国という劣等感の塊を抱えたままの留学であった。しかし同時に日本国内にいても、他人とのどうしても越えられない壁を作ってしまう青年であったようだ。この壁を認識させられるものとして、相手の内面が読み取れない視線を感じてしまっている。「役たたず」では、他の大部屋の入院患者から、「かりにこの大部屋に住まわれたら、何をしてくださいますかねえ」といわれて「言い負かされた」と感じてしまう。
私にはこれがどうしても理解できない。「はい、生活上では役に立たないのが小説家です。」と切り返せないことが私には不思議である。
ひたすら遠藤周作は「〈なぜゼズス(キリストのこと)は助けてくださらんのじゅろうか、なぜゼズス様はあげなムゴイ責苦を子供が忍ぶのを黙って見ておられるのじゃろうか〉」(最後の殉教者)や「何のために生れてきたんだろう」(役たたず)という問いへとスライドしていく。私にはすれは「スライド」しているように思える。
むろん殉教という名の、観念の肥大化で多くの人々が亡くなるという悲劇は宗教だけでなく、政治の世界にもあり、そして現代でも発生している。この観念の自己増殖が人の生を左右するという逆説は、芸術にとって重要な題材であることは理解しているつもりだ。興味もある。その切り口もさまざまにある。切り口の多様性は、重要である。
だが、私にはこの遠藤周作のアプローチの仕方が、まだまだピンとこない。社会の階層構造の中で逼塞する大衆像は提示するものの、その切開や解明には向かわない。自分と「大衆」との距離はあらかじめ越えられない、接近不能、相互了解不能なものとして設定されてしまう。私の遠藤周作に対する違和感というものはこのようなものにあると思った。
たかだか10編の小品を読んだだけでの即断は許されない。長編作家といわれる遠藤周作の長編のいくつかを読んでから出ないとこんなことを書いてはいけないのだろうとは思いつつ、今回はこの辺で終了。
「こわごわ握り飯と薬の包みを抱えて戸口まで近よった時、こわれた戸がイやな音をたてて軋んだ。そして中をソッとのぞきこんだ喜助の前に、空洞のようにポッカリ眼も潰れ、鼻の欠けた乞食の顔があらわれた。「ウワっ」。包みをそこに放り棄てると転げるように喜助は小屋から河原に走り逃げた。」(最後の殉教者)
「ふりむくと炊事場の閾(しきい)に、鳥のようにくぼんだ眼の学生が、よごれたパジャマのズボンから痩せた、赤黒い毛ずねをだして、たっていました。下から人を見あげた眼が葡萄の肉のように白く、その言葉づかいで山国から来た田舎者だということがわかりました。これが、ぼくがコウリッジ館にきて、はじめて白人学生から、かけられた言葉でした。」(コウリッジ館)
「私はリヨン到着以来はじめて四国にたいして不愉快な気持ちをもちながら彼の顔を見あげた。鼈甲の太縁の眼鏡の奥で彼は私を無表情に見つめている。そのまるい大きな無表情な顔がかえってこちらの気分をいらいらさせるのだった。」(異郷の友)
「やがてレコードがとまり、みにくい汗を玉のように真黒な顔にうかせたポーランが少し暗いかなジげな眼で我々をみながら席に戻った時、だれかが大声で叫んだ。「ポーランは全くいい奴だよ」私はくるしさに耐えられず便所に行くようなふりをして喫茶室の外に出た。くるしかったのはポーラン自身より、ポーランを見おろしていた他のアフリカの学生たちの表情だった。中庭には三日前のように赤い夾竹桃の花が咲き、どこか遠くからピアノの練習曲がきこえてきた。〈あれは留学生たちか陥る罠だ〉と私はそのピアノの音をききながらぼんやりと考えた。〈俺と四国だけはあの罠にはまりたくないものだ。〉」(異郷の友)
「朝や夕方の散歩時間、彼等はむこうから小説家が歩いてくるのに気づくと、急に話をやめジロジロと探るような眼で窺いみるのだった。」(役たたず)