Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ビーバー「ヴァイオリンソナタ」

2017年02月16日 23時20分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日は古い時代のヴァイオリン曲を聴きたくなって、ハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバー(1644-1704)という現在のチェコ出身の作曲家のヴァイオリンヴァイオリンソナタ6曲をおさめたCDを持ち出してきた。
 ビーバーはヴァイオリンの技巧にすぐれ、当時としてはかなり高度な技術を必要とするもので、各弦の調弦を変えて演奏する技巧を多用している。
 バロック・ヴァイオリンが寺神戸亮、ハープシコードとオルガンをシーベ・ヘンストラ、ヴィオラ・ダ・ガンバを上村かおりという組み合わせである。録音は1994年。
むかしレコードでこのビーバーのロザリオ・ソナタ全16曲をおさめたアルヒーフ版を持っていたと記憶しているが、誰の演奏だったか覚えていない。そしていつかの時点で廃棄している。ほんとうはこのレコードのCD版が欲しかったのだが、手に入らなかった。
 表紙の絵画は、有元利夫の「雲」という作品。

                  

「無言館」と「香月泰男美術館」について

2017年02月16日 21時23分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 私が是非訪れたいと思っている美術館のひとつである。もうひとつは「長門市立香月泰男美術館」(旧三隅町立香月美術館)である。この二つは出来るだけ早い機会に行きたい。
 図書館で「「戦争」が生んだ絵、奪った絵」を借りて来たので、ネットで「無言館」を調べてみた。
 ホームページは今は無いようだが、以下のサイトの説明を再掲してみる。

無言館と信濃デッサン館は、「信州の鎌倉」と呼ばれ、別所温泉のある塩田平にあります。どちらも、作家故水上勉みずかみつとむさんの息子である窪島誠一郎くぼしませいいちろうさんが私財を投じて運営されている、世界的にもユニークな美術館です。
無言館は、戦没画学生たちの遺作となった絵画・作品・絵の道具・手紙などを専門に収蔵展示しています。芸術の才能を花開かせる前に戦場で散った画学生の作品は、涙なしには見られず、観覧中にあちこちですすり泣く声が聞こえることもあります。
2009年からは、全国から寄せられる戦没画学生の絵画をより多く展示するため、第二展示館もオープンしています。2014年から、海外の戦没画学生の作品も収集展示される予定です。
信濃デッサン館は、立原道造・関根正二など若くして病死した画家のデッサンを中心に展示しています。特に、農民美術運動を指導した洋画家山本鼎のいとこの村山槐多の作品は、徒歩1~2分の別館「槐多庵」に展示されています。信濃デッサン館は無言館に比べて経営が苦しく、2006年にいったん閉館すると発表しましたが、「閉館しないで欲しい」というファンの声で、2007年1月から半年休館して改修、展示スペースを拡張して再オープンしました。
上田電鉄別所線塩田町駅から「信州の鎌倉シャトルバス」(4~11月のみ)7分
⇒【http://www.mtlabs.co.jp/shinshu/museum/mugon.htm】

第二次世界大戦で没した画学生の慰霊を掲げて作られた美術館で、美術館「信濃デッサン館」の分館として1997年に開館した。館主は窪島誠一郎。自らも出征経験を持つ画家の野見山暁治とともに全国を回って、戦没画学生の遺族を訪問して遺作を蒐集した。
第53回(2005年)菊池寛賞受賞。
2008年9月21日に無言館第二展示館「傷ついた画布のドーム」がオープンした。
施設名の「無言館」は、展示される絵画は何も語らず「無言」ではあるが、見る側に多くを語りかけるという意味で命名したというが、客もまた展示される絵画を見て「無言」になるという意味をも含んでいるという。
⇒【https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E8%A8%80%E9%A4%A8】

長門市立香月泰男美術館については、以下を参照してください。
⇒【https://www.city.nagato.yamaguchi.jp/kazukiyasuo/info/speech.html】


 長野県上田市と山口県長門市、特に長門市はとても遠い。私は山口県を訪れたことがない。上田市は幾度かあるが、無言館を訪れる機会がなかったことがとても悔しい。上田市は遠くはないが、かといってふらっと訪れるわけにもいかない距離である。

本日の読書

2017年02月16日 18時32分36秒 | 読書
 講座の終了後、喫茶店などで読書タイム。

 遠藤周作の「異郷の友」「男と猿と」「従軍司祭」を読了。「「戦争」が生んだ絵、奪った絵」の第一部「「戦争」が生んだ絵」を読了。やはり野見山暁治の「香月泰男」、橋秀文の「浜田知明」の他に、靉光、高山良策、山下菊二について記載されている。
 やはり野見山暁治の文章が一番印象に残った。

「帰国後、写真で見た広島の原爆の、真黒こげの屍体と、満州で貨車から瞬間見た赤茶色の屍体。二つの屍体が、1945年を語り尽くしていると思う。」(香月泰男)
「兵士に仕立てられた香月さんは、闘争心や、刹那の緊張といった、死と向いあうエネルギーとは逆のいわば死の側に寄りそって、ただじわりと生きている囚人だったように思われる。」(野見山暁治)
「死ぬまでシベリヤを描きつづけていたということが、描きつづけることで、生きていられたのだ。」(野見山暁治)


 帰宅してから思い出したが、横浜市歴史博物館で「津々浦々 百千舟 江戸時代横浜の海運」が1月28日から始まっていた。本日は若干時間があったので、訪れたかった。明日時間があれば訪れたいものである。
 また横浜ユーラシア文化館では「増田彰久写真展-アジアの近代建築遺産ー上海・青島・北京・大連・長春ー」を開催していることを教わった。これも行くことが出来た。残念であった。会期は4月9日までなので訪れたい。300円というのが嬉しい。


「横浜旧東海道 みち散歩」

2017年02月16日 09時28分00秒 | 読書


 昨日図書館で次のようなフリーペーパーを手に入れた。表紙・裏表紙いれて28ページのA4版。
 旧東海道を鶴見から戸塚宿までの案内書である。私はすでにいくども歩いている道であるが、当時の寺社やガイダンスだけでなく、現代のお店の案内もあり、参考になる。
 坐骨神経痛がなおれば、またいつでも歩きたい楽しい道である。
 このような痛みを発症してしまうと、なおさらまた歩きたくなるものである。
 実はこの冊子は初めて目にするが、すでに5年前の2012年9月に発行されていた。一昨年9月に改訂版が出ていた。