★柿の木の無き都辺の秋幾度(中村草田男)
この句は私は初めてめにする句である。わたしも横浜の中心部の団地に住んでもう40数年たってしまった。樹木がとても多い団地ではあるが、敷地の中には柿の木はない。周囲の戸建ての古い商店街にも柿の木はない。古くからある広い敷地の住宅にはところどころ柿の木はある。しかし新しい敷地のとても狭い戸建ての住宅にはまず柿の木は植わっていない。否、樹木そのものがない。30坪に満たない敷地では花壇や芝生そのものもない。
昔学生時代を過ごした都市でも、住宅地は50坪から100坪ほどの敷地で並んでいたが、柿の木や桜・梅・こぶしなどそれぞれの敷地の目印のようにさまざまな木が植えられていた。ひとつの敷地に数種類、数本の樹木だが、春や、実のなる秋頃になるとそれを眺めるのは楽しかったことを覚えている。意外と覚えているようで、40年近くたって当時住んでいたアパートの近くを歩いてみたら、家は立て替えて形が変わっていても樹木がそのままの敷地がいくつもあった。そして樹木で当時の家の様子を思い出したりもした。
樹木が住宅地からどんどんなくなっている都心は私などの世代以前の方々にはとても寂しいものであろう。そんな都心で何年も住んでいると、ふと幼い頃に敷地に植わっていた樹木が懐かしくなる。そして秋から冬にかけて落葉をせっせとかき集めていたころのことも偲ばれる。柿の木は秋に高揚するころになると葉が美しい。そればかりでなく、実がなるときには葉がなくなる。実が色鮮やかで美しい。青空に柿の実がよく映える。そんな美しい柿の木を見なくなって‥という感慨を秋が深まるたびに湧いてくる。
私などよりも年上の世代では、渋柿であっても丁寧に皮をむいて、ひとつひとつヘタを紐に括りつけて干柿にして吊るす。大事な保存食でもあった。今では枝が折れやすい柿を取ることも少なくなり、実をつけたまま腐るに任せてしまう家が大半である。きっとそのうちに切られてしまう。ますます柿の木は都心からなくなっていく。柿にまつわる風情も失われていく。