Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日からお酒を飲もうと思ったが‥

2017年02月14日 23時35分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日はとりあえず予定がない。坐骨神経痛の痛みは少しおさまっている。しかしバリウムが全部出終わっていない。下剤を服用したので明日の朝にすべて出来ってほしいものである。
 明日の朝の状態を見極めてから、明日の行動は考えるしかなさそう。
 バリウムが本日中に出てしまっていれば、本日からお酒を飲もうわ思っていたが、明日以降に延期となってしまった。

とろろ昆布うどん

2017年02月14日 21時27分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 胃癌と肝臓・胆嚢・膵臓癌検診を受けた。肝臓・胆嚢・膵臓は採決による血液検査と腹部のエコー、胃癌はバリウムを飲んでエックス線撮影。
 そして大腸がん検査のための内視鏡検査の日を決めてきた。

 胃癌検診は今年度から内視鏡検査もメニューに加えられたが、希望者が多くすぐに予約でいっぱいになるらしい。今年は従来通りにバリウムを飲むことにした。内視鏡の方が直接見ることが出来るのでいいといわれているが、しかし内視鏡検査は隔年となる。バリウムならば毎年受けることが可能である。これは選択の問題。
 しかしバリウムというのは排泄されるまでが結構つらいものである。私の場合はもともと下痢気味なので、排泄するのはわりと簡単である。しかし最初の3回くらいは早いが、残りで苦労する年もある。
 本日は坐骨神経痛の影響で姿勢を変えるのがとてもつらかった。朝病院に行くときは少し痛かったが、それでも右に、左に、あるいは一周するなどの一連の動作はつらかった。不思議なもので、その後は痛くならないで帰宅できた。
 ほんのちょっとしたことで、痛みが出たり、出なかったりをくりかえしている。

 大腸の内視鏡は月末となった。これはまたとてもつらいものである。毎年受検を強く言われている。どちらかというと医師からの強い要請というか命令のようなもの。それだけ私の身体について歴代心配してくれていると思っているが‥。

 バリウムを飲んだ後は、いつも昼食には食堂で「とろろ昆布うどん 550円」を注文している。大腸の内視鏡検査終了後も同じものを食べている。この食堂の「とろろ昆布うどん」をわたしはとても気に入っている。お店の方には怒られるかもしれないが、特に美味しいうどんとはいえないし、とろろ昆布もたくさん入っているわけではない。しかし出汁の効いたおつゆと、少なめで手ごろな量が気に入っている。そして胃に優しい。おつゆの温かいうすい塩味が胃に浸みわたる。
 そして食後は同じ病院内にあるコンビニで暖かいウーロン茶などを購入して、午後の閑散とした待合室でゆっくりとお茶を飲むのが、いつものパターンである。

 バリウムも現在は150㏄と少量でしかも飲みやすくなっている。昔は300㏄くらい飲まされたような気がしている。そしてとてもまずかった。喉をとおすのが辛かったし、なかかな排出されなかった。随分と楽になったものである。

「さみだれや大河を前に家二軒」(蕪村)

2017年02月14日 20時04分05秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★さみだれや大河を前に家二軒
★涼しさや鐘を離るゝ鐘の声
★雨後の月誰(た)ソや夜ぶりの脛白き


 「さみだれや‥」「涼しさや‥」の句はとても有名である。そしてこの3句は同時に作られたという安藤次男氏の指摘があり、そのことわ初めて知った。蕪村62歳の時の吟である。
 私も学生時代に、それぞれ別個の句として、そして蕪村の写生句の代表のように教わった。安藤次男氏の指摘は「この(さみだれや‥)句は娘を婚家から連れ戻した時の句である」という。また他の二句は「さみだれや‥」の句が記された手紙の追伸に記されているとのことである。
「日ごろ何かと病がちの娘」で「掌中の珠のごとくにして育てた一人娘であった」こともあり、「娘が先方の家風しのぎかね」「うつうつと病気づ」いて6ヶ月で連れ戻している。
 このような事情を知って読めば、「家二軒、は大自然の力を前にして、身を寄せ合うものの表現」であると記している。
 そして、「涼しさや‥」の句も、「雨後の月‥」の句も、「鐘を離るゝ鐘の声」「脛白き」がどこかさびしさやかそけさ、弱々しい線の細さを感じる。
 文人風の写生句というよりも、かなり生々しい蕪村の生活の実情が反映しているようにも思えてきた。

杖を突いて歩くことの危険と怖さ

2017年02月14日 18時01分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 この一カ月半近く杖を離さずに歩いてきた。ほとんどは健康な時ならば家から歩いて30分の横浜駅付近である。バスや鉄道を利用して横浜駅に出るか、病院に寄って横浜駅まで歩くこともある。たいていは家電量販店や有隣堂を覗いて、喫茶店で一服して、痛みの状態と相談しながら歩いたり、バスや鉄道を利用して帰る。
 横浜駅周辺の地下街や地上の繁華街を通るのだが、杖を突いて歩いていると、普段とはまったく違う景色や、気がつかない人の動きがよく分かる。人通りの多い場所は杖を突いて歩くのがこんなにも怖いものだとは初めて実感した。
 以前にも杖を突いて歩く機会はあったが、それほど切実ではなかった。今回ほど杖を頼って歩いたことはなかった。

 まず鉄道利用の時には、階段の上り下りが怖い。これは想像したとおりであった。右の太ももの外側が痛いと階段を登る時に右足を外側に回すようにして前に出す。そのために歩く巾を広めにとらないと階段を昇ることが出来ない。おのずと前後の人の気配を気にしながらゆっくり階段を昇る。右足を広げるようにして昇るので右側の壁よりを歩きたいのだが、多くの駅構内は歩行者の左側通行を呼びかけている。そのために通路のセンターに手摺りがある広い通路はその手摺りを右にして登ることになる。ところがこの手摺りと私の間の狭い空間をすり抜けていく人がかなりいる。その度に私は煽られて足がすくんでしまう。これが怖い。
 次にスマホ歩きと駆け回る幼児の不規則な歩きが怖い。杖を突いていると急に人を避けることが出来ない。
 スマホ歩きは別名殿様歩きである。そこのけそこのけ、と周囲が避けてくれることを前提に歩いているし、その行跡は蛇行・斜交・急停止の連続である。予測ができないので、避け切るのが困難となる。
 それに輪をかけて怖いのが、雑踏中を親の手を離れて駆け回る幼児を近くに見かけたらこちらは立ちどまらないとぶつかる。この場合はこちらが転倒するよりも幼児の方が転倒してけがをする確立が高い。ヘタをすれば加害者扱いされかねない。
 次に怖いのが乳母車である。ゆっくりとした乳母車は対処できるが、押している人間が駆け足であったり、スマホ歩きの親だと、これは凶器に近い恐怖を感じる。これはキャリーバッグにも同じことが言える。
 そして全体としていかに前を注視して歩いている人が少ないか、ということが実感できる。前を向いているが、意識は安全確認をしていない。他のことを考えているようだ。
 ということで、横浜駅などでは東西自由通路の中央通路はできるだけ避けて歩くしかない。

 プラットホームではスマホ歩きやキャリーバッグ、乳母車、幼児などが怖いことは変わりはないが、同時に階段などのあるる付近は狭くなっているが、そこに立っている人が一番怖い。人が立っているとホームの黄色い点字ブロックのさらに外側を歩かなければならないので、杖がその人にふれるとバランスを崩しかねない。
 これはすでに数回怖い思いをした。あの狭い場所では待つことをしないように路面表示がされているが、プラットホーム上にある階段の壁にもたれかかるのが楽なのであろう。多くの人が立っている。これは杖を突かくなとも歩けるようになった時は、自分もしないことを決めた。

 バスの場合は座らないと危険なので、座れそうもない時は次のバスを利用するので、特に危険を感じたことはない。今は手摺りにつかまったり、座らないとバスの運転手に注意される。とてもいいことであると感じた。
 つらいのは出口に人が固まるので、後部座席にたどり着くのが面倒である点。

 これらの恐怖は自分が杖を突いて初めて気が付くことでもある。良い体験をしたと思っている。