Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「鬼瓦」(加藤楸邨) から

2017年03月28日 23時02分10秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 いつものとおり加藤楸邨の句集を紐解いている。岩波文庫の「加藤楸邨句集」と古書店で購入した朝日文庫版「現代俳句の世界8 加藤楸邨集」が私の手元にある。
 加藤楸邨の全俳句作品は9400余句といわれるが、前者は3000句、後者は収録句数は記されていないが同じくらいであろうか。
 本日は1970年の47句「鬼瓦」から。これは1976年の「吹越」におさめられている。
 広島を訪れた旅でまずは原爆を詠んだ句から並んでいる。

★梅雨にひろふ原爆の土ひとかけら
★梅雨さむし鬼の焦げたる鬼瓦
★薔薇のかげまぼろしはみな手を伸べて
 原爆供養碑に「安らかにお睡りください過ちは繰返しませんから」
★薔薇に立つ過ちは誰が過ちぞ
★蜜柑買ひて爆心踏むよ一女体


 そして長崎のキリシタンが幕末から明治にかけて殉教させられた津和野の乙女峠を訪れている。

 乙女峠切支丹殉教地
★おのれまげねばこの夏草の墓の列
★木の枝に蛇のむくろやまだうごく


 この乙女峠の殉教については遠藤周作の「最後の塾強者」で触れた。
 私はこの一連の句で「薔薇のかげ‥」と「おのれまげねば‥」の句に惹かれる。

モーツアルト「ピアノ協奏曲27番」ほか

2017年03月28日 22時19分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日はNHKFMのベストオブクラシックを聴くことにした。
 演奏は、新日本フィルハーモニー交響楽団、指揮は上岡敏之(新日本フィルハーモニー交響楽団音楽監督)。
 曲目は、次の3曲。
1.モーツアルト「交響曲第33番K.319から第1楽章、第4楽章」
2.モーツアルト「ピアノ協奏曲第27番K.595」、ピアノはアンヌ・ケフェレック
3.ブラームス「ピアノ四重奏曲第1番作品25(シェーンブルクによる管弦楽版)」
~東京・すみだトリフォニーホールで2016年9月16日収録~

 モーツアルトの交響曲第33番はあまり聴く機会はない。ザルツブルグの時代の曲。第2楽章、第3楽章も聴きたかったが‥。
 ピアノ協奏曲第27番はピアノ協奏曲では一番演奏機会の多い最後の曲。
 ブラームス「ピアノ四重奏曲第1番」のシェーンブルクによる管弦楽板は初めて聴く。ブラームスの原曲は幾度も聴いているが、こんなに煌びやかだったかな、というのが第一印象。まだ一回しか聴いていないのだが、私にはやはり原曲の方が好みだと思う。

横浜緋桜

2017年03月28日 18時12分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 私の団地から歩いて15分ほどの公園に横浜緋桜(と思われる)が毎年咲く。赤い色が美しい。

 横浜緋桜については、横浜市の環境創造局に以下の説明が記されている。【⇒こちら



【生みの親】桜の新品種作りに取り組んでいる白井勲氏(港北区高田町)です。
【特徴】
・花は赤みが強く大輪、下向きに咲きます。
・染井吉野と同じように、葉の出る前に花が咲きます。
・開花期が早咲き・中間咲き・遅咲きの3タイプがあります。(花の形態は同じ)
・早咲きは3月20日ごろから咲きはじめ,遅咲きは4月10日ごろから咲きはじめます。
・小学校で入学式のころに満開になるものを植えたい時には、中間咲きのものを植えます。
【経緯】昭和47年ごろに早咲き種の鮮やかな紅色の寒緋桜と病気に強い山桜(兼六園熊谷という種類)を交配させ、それぞれの系統の利点を備えた丈夫で美しい桜が誕生しました。昭和60年1月、その桜は、横浜の名を冠し、花の色の特徴を表す,「横浜緋桜」と名付けられました。そして農水省に種苗法に基づく品種登録がなされました。
 平成8年4月2日には横浜公園開園120周年を記念して横浜緋桜の植樹式が横浜公園のこどもの遊び場付近で、横浜市長(高秀秀信)、横浜緋桜の生みの親の白井勲さんが参加して行われました。
 平成9年11月12日には品種登録された最初の木(原木)が白井勲さんから中区制七十周年記念実行委員会に寄贈され,本牧山頂公園東側の芝生広場に植栽されました。


 毎年、この桜を見に行くのも楽しみのひとつである。今年も美しく咲いている。幹が幾本にも分かれているのが特徴である。

睡眠時間をなんとか増やしたい

2017年03月28日 11時37分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 これまで一日に4時間から5時間の睡眠で生きて来た。現役のときも1時半から2時半、時には4時過ぎに寝て、6時ころに起きていた。睡眠時間が何しろもったいなかった。
 労働時間の短縮とゆとりある生活を求める労働組合の役員が、その要求を巡って寝ることと、食事時間を削って組織運営をしてきた。何という背理であろうか、といつも役員同士で自嘲。特に私は仕事と組合活動以外に、音楽や文学などの趣味の世界があり、そちらの時間の確保のためにさらに睡眠時間を削っていた。
 退職してもその癖がなおらなかった。しかし健康上は一日で7時間は睡眠をとった方がいいといわれる。現役時代に求めていたことは退職後は実践しなくてはいけない。
 ということで、この2週間睡眠時間を7時間近く確保するためにいろいろ工夫をした。
 まずは0時半までにパソコンの前を離れて、入浴し、1時までに布団に入ることと、本を読まずに寝ること。しかしこれが難しい。どうしても眠れない。結局3時ころにようやく寝入ることをくりかえした。
 次に入浴も済ませて24時前に布団に入ること。これは数日つづけられた。そして1時くらいに寝入ることが出来るようになった。朝は8時に起きるので7時間は睡眠がとれるはずである。
 しかし4時ころに起きてしまう。便所に行って、1合ほどぬるま湯を飲んでから再び布団に入るが、なかなか寝付けない。結局5時くらいに再び寝入ることができる。
 どうしても6時間を超す睡眠がとれない。しかし以前よりはなんとか睡眠時間を1時間ほど増やすことが出来た。

 歳を取るとすぐに目が覚めて睡眠時間が短くなるというが、私はそれと逆行しているのだろうか。

 睡眠時間を増やすことがこんなにも大変なこととは思わなかった。