Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されている行われた「ゴールドマン・コレクション これぞ暁斎!展」(2.23~4.16、⇒
こちら参照)のブロガー特別内覧会(3.23)に参加する機会を得た。
Webには河鍋暁斎について次のように紹介している。
河鍋暁斎(1831─1889)は、時代が大きく揺れ動いた幕末から明治を生きた絵師です。幼い頃に浮世絵師の歌川国芳に入門したのち、狩野派に学び19歳の若さで修業を終え、さらに流派に捉われず様々な画法を習得しました。仏画から戯画まで幅広い画題を、ときに独特のユーモアを交えながら、圧倒的な画力によって描き上げた暁斎。本展は、世界屈指の暁斎コレクションとして知られるイスラエル・ゴールドマン氏所蔵の作品によって、多岐に渡る暁斎作品の全体像を示します。
2015年には三菱一号館美術館で「画鬼暁斎-幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」という展覧会が行われ、ここでも私は内覧会に出席させてもらった。
今回も多数の作品が並び、充分暁斎の世界を堪能できた。今回一巡してまずは「動」というキーワードが私の頭に浮かんだ。この点から心に残った作品をいくつか挙げてみる。むろん「動」がキーワードとなる作品はいくつもあるが、私が惹かれた作品である。【作品の図面は図録より】
数多く鴉の作品を暁斎は残している。今回も多数の鴉の作品が展示されており、「日輪に鴉」(1872-90)の4幅一対で12羽の鴉を排した作品と、ここに取り上げた「烏瓜に二羽の鴉」(1972-90)が印象に残った。後者は鴉の憎々し気な表情と鳴くときの格好が実に写生的である。烏瓜の赤、葉の緑も生き生きとしている。口を開けて人間かあるいは他のグループの鴉か、他の度物を威嚇している鴉の動きが生々しい。枯木に止まっている鴉の眼もいいが、こちらのきつい目がとても鴉らしい。
次が「雨中の蓮池に降り立つ白鷺」(1872-90)。特に雨の降るさまを白い斜めの太い線で表した点、雨に頭を垂れる蓮の向きと、白鷺の落下の方向とが重なっている。右上から左下への構図が目についた。
そして一番気に入った作品が「鷹に追われる風神」(1887)。琳派にも学んだという暁斎である。そして琳派ならではの「風神雷神図」を思いっきりパロディー化している。
私の推測では当然にも「雷神」を揶揄した作品が一対のものとして作られたと思っている。
瀧と鷹を水墨画として扱い、逃げる風神は彩色されている。水墨画風の単色の世界がメインとなり、雄大さとスピード感を演出している。鷹に追われる神である風神にはもはや威厳がない。
もしも雷神の図があるとしたらどのように雷神を費用減したのであろうか。興味がある。
有名な「百鬼夜行図屏風」{1872-90}も動きがある作品である。右隻では愛嬌のある百鬼が闇の中をうごめいているが、左隻の左端へ移動している明るい物体に慌てふためいているようすが描かれていると図録の解説に記されている。同時に私が不思議なのは左隻の右側の団扇を持った妖怪と、笹竹を振りかざしている烏帽子をかぶった妖怪など右側の妖怪たちは、左端から逃げてくる妖怪を迎え撃つように見える。合戦図のようにも見えた。
また当日会場である参加者が各妖怪には克明に「まつ毛」が描かれており、これがこの作品をより親しみのある作品にしているようだ、と言われていた。まったく同感である。よく見ると右隻の右側の二人の妖怪を除いて登場するすべての妖怪にまつ毛が描かれている。妖怪の登場する他の作品にはまつ毛は描かれていない。この作品にだけ丹念に描かれている。まつ毛だけでこんなにも表情や仕草が和らぐものか、と感じた。
今回取り上げた作品以外にも「動」が溢れる作品はもたくさんある。たとえば「鯰の曳き物を引く猫たち」「「動物の曲芸」「蛙の蛇退治」「風流蛙大合戦之図」「墨合戦」なとなど。あくまでも私が惹かれた作品の中から選ばせてもらった。
図版は「イスラエル・ゴールドマン コレクション Israel Goldman Collection, London Photo:立命館大学アート・リサーチセンター 」による。
【その2に続く】