Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

河鍋暁斎はどんな人だったのだろうか

2017年03月24日 23時21分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 内覧会に参加した人の義務というか、参加の条件である「これぞ暁斎!」の報告の記事をアップした。1回ではおさまらなかったので、できれば明日中にも第2回目をアップしてしまいたい。
 しかし河鍋暁斎という画家は、画家に留まらず明治という世相・時代にたいして、ジャーナリスト的、あるいは社会批評家的な眼を持ち続けた人だと思える。記事を書きながら感じた。
 そして社会のあらゆるものを描き尽くしたいという欲求を手放さなかった、全身好奇心と探求心の塊のような人柄だったのではないだろうか。その逞しい貪欲な好奇心・探求心のひとかけらくらい私にも分けてほしいと思うようになった。

 明日は午前中に少々打合せがある。午後からは何をするか、決めていない。


「これぞ暁斎!展」感想 その1

2017年03月24日 22時01分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されている行われた「ゴールドマン・コレクション これぞ暁斎!展」(2.23~4.16、⇒こちら参照)のブロガー特別内覧会(3.23)に参加する機会を得た。
 Webには河鍋暁斎について次のように紹介している。
河鍋暁斎(1831─1889)は、時代が大きく揺れ動いた幕末から明治を生きた絵師です。幼い頃に浮世絵師の歌川国芳に入門したのち、狩野派に学び19歳の若さで修業を終え、さらに流派に捉われず様々な画法を習得しました。仏画から戯画まで幅広い画題を、ときに独特のユーモアを交えながら、圧倒的な画力によって描き上げた暁斎。本展は、世界屈指の暁斎コレクションとして知られるイスラエル・ゴールドマン氏所蔵の作品によって、多岐に渡る暁斎作品の全体像を示します。

 2015年には三菱一号館美術館で「画鬼暁斎-幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」という展覧会が行われ、ここでも私は内覧会に出席させてもらった。
 今回も多数の作品が並び、充分暁斎の世界を堪能できた。今回一巡してまずは「動」というキーワードが私の頭に浮かんだ。この点から心に残った作品をいくつか挙げてみる。むろん「動」がキーワードとなる作品はいくつもあるが、私が惹かれた作品である。【作品の図面は図録より】



 数多く鴉の作品を暁斎は残している。今回も多数の鴉の作品が展示されており、「日輪に鴉」(1872-90)の4幅一対で12羽の鴉を排した作品と、ここに取り上げた「烏瓜に二羽の鴉」(1972-90)が印象に残った。後者は鴉の憎々し気な表情と鳴くときの格好が実に写生的である。烏瓜の赤、葉の緑も生き生きとしている。口を開けて人間かあるいは他のグループの鴉か、他の度物を威嚇している鴉の動きが生々しい。枯木に止まっている鴉の眼もいいが、こちらのきつい目がとても鴉らしい。



 次が「雨中の蓮池に降り立つ白鷺」(1872-90)。特に雨の降るさまを白い斜めの太い線で表した点、雨に頭を垂れる蓮の向きと、白鷺の落下の方向とが重なっている。右上から左下への構図が目についた。



 そして一番気に入った作品が「鷹に追われる風神」(1887)。琳派にも学んだという暁斎である。そして琳派ならではの「風神雷神図」を思いっきりパロディー化している。
 私の推測では当然にも「雷神」を揶揄した作品が一対のものとして作られたと思っている。
 瀧と鷹を水墨画として扱い、逃げる風神は彩色されている。水墨画風の単色の世界がメインとなり、雄大さとスピード感を演出している。鷹に追われる神である風神にはもはや威厳がない。
 もしも雷神の図があるとしたらどのように雷神を費用減したのであろうか。興味がある。

   

 有名な「百鬼夜行図屏風」{1872-90}も動きがある作品である。右隻では愛嬌のある百鬼が闇の中をうごめいているが、左隻の左端へ移動している明るい物体に慌てふためいているようすが描かれていると図録の解説に記されている。同時に私が不思議なのは左隻の右側の団扇を持った妖怪と、笹竹を振りかざしている烏帽子をかぶった妖怪など右側の妖怪たちは、左端から逃げてくる妖怪を迎え撃つように見える。合戦図のようにも見えた。
 また当日会場である参加者が各妖怪には克明に「まつ毛」が描かれており、これがこの作品をより親しみのある作品にしているようだ、と言われていた。まったく同感である。よく見ると右隻の右側の二人の妖怪を除いて登場するすべての妖怪にまつ毛が描かれている。妖怪の登場する他の作品にはまつ毛は描かれていない。この作品にだけ丹念に描かれている。まつ毛だけでこんなにも表情や仕草が和らぐものか、と感じた。

 今回取り上げた作品以外にも「動」が溢れる作品はもたくさんある。たとえば「鯰の曳き物を引く猫たち」「「動物の曲芸」「蛙の蛇退治」「風流蛙大合戦之図」「墨合戦」なとなど。あくまでも私が惹かれた作品の中から選ばせてもらった。

 図版は「イスラエル・ゴールドマン コレクション Israel Goldman Collection, London Photo:立命館大学アート・リサーチセンター 」による。

                                                 【その2に続く】



マッサージは本日で終了

2017年03月24日 13時43分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 マッサージ・鍼・灸は本日でとりあえず終了。次はまた症状がひどくなったら、ということにした。回復過程で罹ったこともあるかもしれないが、私にはとても有効だったように思われる。整形外科での低周波治療やブロック注射よりも、別の整形外科でもらった腰痛体操と、マッサージ・鍼(低周波電気治療込み)の方が有効であった。腰痛体操とストレッチは欠かさないように云われた。
 整体の本によるストレッチと腰痛体操で紹介されたストレッチのいくつかを自分なりに組み合わせるのが効果があるようだ。

 本日は葉山に県立近代美術館を訪れようと考えたが、連日の外出で取りやめることにした。さすがに昨晩遅くなったので疲れた。
 昨日の内覧会の感想を、「シューマニアーナⅤ」(伊藤恵)を聴きながら綴ることにした。

加藤楸邨「まぼろしの鹿」から

2017年03月24日 10時02分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 春富士(15句中5句)      加藤楸邨「まぼろしの鹿」から
 少年の日を送った御殿場にて
★土筆なつかし一銭玉の生きゐし日
★春富士や仁丹の香が口に充つ
 一年の折学びし恩師に逢ふ
★声あげて夢の師とあふ春霰
 一年の折の友ら
★三椏の花に一言すぐわかる
★薔薇ほめる言がビキニの灰のことに


 私は小学校高学年のときはあまりいい思い出はない。中学・高校とは卒業後ずっと疎遠であった。1学年200人未満と少なかったにも関わらず、付き合う範囲は限られていた。上下の学年との購入も極めて少なかった。年令からすれば当然といえば当然だが‥。大学が横浜から遠かったこともあるのだろう。高校卒業後10年以上当時の友人とも付き合いはなくなってしまい、同窓の友人のほとんどの名前と顔を忘れてしまった。先生の顔も名前も同じようにすっかり意識の外に追いやっていた。だからだと思っているが、4句目の感動がよく理解できない。
 ここ10年ほど同窓会に出たりして少しずつ昔のことを思い出しているが、上記のような感動ははっきり言ってない。同窓の方の卒業後の人生の軌跡と自分の軌跡とがどこにも接点がないというさびしさもある。10代半ばの60年間というのは濃い時間であるが、私には喪失感の方が強い。
 それ以上に10代後半から20代初頭のインパクトが強いということなのか。4句目の感動に近いものは、その時のものが近いのかもしれない。