Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ユキヤナギが満開

2017年03月17日 22時49分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
   

 いつも行く図書館の近くの小さな公園でユキヤナギが満開であった。私の住む団地でも満開である。私はユキヤナギが好きである。ボケやウメに春の先駆けを見ることもできるが、ユキヤナギを見ると「本格的に春が来た」と感じる。
 人はそれぞれに自分にとっての大切な季節を象徴する花などの自然の景物を抱えている、と思っている。私の場合でいうとまずは三月中旬のこのユキヤナギである。そしてヤマブキ。夏の盛りのサルスベリ、秋のサクラの紅葉、富士山の初冠雪。それぞれに何かしらの思い出がある。

「花降る日」(有元利夫&容子)読了

2017年03月17日 21時52分58秒 | 読書
   

 図書館から借りてきていた「花降る日」(有元利夫&容子、新潮社)を読み終えた。
 著者が有元利夫&容子となっているが、若くして亡くなった有元利夫との思い出を有元容子が語っている。それ以外は有元利夫の木彫を中心とした作品と本全体に散りばめられたデッサン、そして中学三年から29歳までの日記の断片からなっている。
 有元容子の文章はなかなか優れていると思う。そして有元利夫の木彫やデッサンは見ていて楽しい。絵画作品をを思い出しながら楽しく読んだ。
 本当は有元利夫本人が、自分の作品について語っている部分が多いのかと勝手に思い込んでいた。それは期待外れであったが、楽しく読めた。
 明日返却できるだろうか。

「江戸と北京展」(江戸東京博物館)

2017年03月17日 17時30分56秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
     

 3月15日(水)の夜、東京都江戸東京博物館で開催されている「江戸と北京-18世紀の都市と暮らし」展(4月9日まで)の内覧会に参加した。以下この展覧会の図録からの図を使って感想を述べたい。

 江戸東京博物館のホームページ【⇒こちら】の開催概要は以下のように記されている。

★江戸の人口が100万人を超え、都市として発達を遂げた18世紀は、北京が清朝の首都として最も繁栄を極めた時代でもありました。日本と中国には文化交流の長い歴史があり、江戸時代の「鎖国下」においても中国貿易は公認され、長崎を窓口として、文物の流れが滞ることはありませんでした。
 本展では、18世紀を中心に、江戸と北京のなりたちや生活、文化を展観し比較します。これまで清朝の芸術や宮廷文化に関する展覧会は数多くありましたが、北京の都市生活を江戸と比較する企画は、今回が初めてです。展示を通じ両都市の共通性と差異を明らかにすることによって、友好と相互理解を深める契機にいたします。


 展示構成は、
第1章 江戸・北京の城郭と治世 
第2章 江戸・北京の都市生活
第3章 清代北京の芸術文化

の3つに分けられている。

 私は庶民の都市生活を中心に見て回った。展示されたものの中では特に江戸・日本橋の賑わいを描いた「熈代勝覧」(1805)と、乾隆帝80歳の式典に沸く北京の風景を描く「乾隆八旬万寿慶典図巻」(1797)、そして康熙帝60歳の式典を描いた「康熙六旬万寿盛典図」(1717)に興味があった。



 色彩も鮮やかな「万寿慶典」は見やすいがどこかきれいに品よく描かれ過ぎているきらいがある。完成度は高いのかもしれないが、市中の喧騒と猥雑さを垣間見るという点からは不向きかもしれない。青い服と赤い帽子の役人とみられる人の群れがさまざま都市の民衆を規制したり、追い散らしたりしているような場面が目につく。商人の実態や店舗などの様子をさぐるにはおおいに参考になるかもしれないが、日常の都市生活はうかがえない。



 一方で「万寿盛典」と「熈代勝覧」は街中の活気あふれる生活者の匂いが漂ってくるような作品に見えた。このふたつをじっくりと見て回った。
 北京市中を描いた「万寿盛典」は彩色がされていない上にとても細かい。拡大鏡でもないと見ずらいが、描かれている人が躍動している。康熙帝の行列から外れた部分は日常が戻ってきたような活気が感じられる。行列の最中の規制された日常と、それが通り過ぎてさっと日常の喧騒に戻る活気が見ていて伝わってくるようだ。



 一方江戸市中を描いた「熈代勝覧」は彩色されており「万寿盛典」よりは見やすいが、それでも人々はとても細かい。細かいにもかかわらず表情・仕草が丁寧に書き込まれている。こちらも人々の表情が生き生きとしているように見える。特に人が密集している日本橋付近には目が吸い寄せられた。
 どちらも展示では拡大図が壁に貼ってあり、これを見るだけで時間がたってしまう。図録にはそれがないのは残念である。
 このふたつの作品について図録では江里口友子学芸員が詳細な解説を記してくれている。この解説では、「熙代勝覧」が「万寿盛典」を参考にしたことについての検証を行っている。これはとても参考になったが、私の視点では作品を参考にしたかも大雪ではあるが、都市生活の習俗として共通点があったのか、あったとしたらなぜ一致しているのか、の方が興味深い。
 例えば子連れで机を担ぐ男、寺子屋では机持参であったらしいが、では清朝の幼児のための私塾ではどうだったのか。また屋台での男の立膝座りが共通しているが、江戸時代まで男が立膝座りをしていたことの証拠なのだろうか。また清朝のどのような階層の人に行われていたのだろうか。江戸も東京も水に恵まれない土地であったようだが、北京の上水確保はどうなっていたのか、上水施設の技術の共通点ないし類似点は絵に描かれているのか。また上水と同時に排水施設についてはどうなっていたのか。疑問は次から次に湧き上がってくる。
 「熙代勝覧」について太田南畝の作に帰す論考はとてもワクワクするものであった。

   

 興味をそそられた展示はいくつもあるが、「近世職人絵尽」より寺子屋の図と、「閙学童図」はともにじっとしていない子どもに手を焼く私塾らしい様子が描かれていて極めて興味深い。いつの時代も悩みは同じである。

   

本日の予定

2017年03月17日 10時02分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩は「江戸と北京」展の感想を綴っているいるうちに、寝てしまった。風呂から上がって作業中であった。スキャナーなどの操作をしているうちは眠ることはなかったが、図録を読み始めたらいつの間にか寝ていたようで寒さで目が覚めた。そのまま布団の中に直行。たしか3時半ころだったろうか。今朝は8時半すぎまで目が覚めなかった。

 本日はこれからマッサージ。神経痛の痛みがあるが、歩けないほどの痛みではない。お昼までマッサージの後は、図書館経由で喫茶店で軽く昼食予定。
 夕方から昨晩の作業の続きをしたいものである。