Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ヘンデル「ヴァイオリンソナタ集作品1」

2017年03月29日 22時32分03秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 シューマンのピアノ曲が続いて少し食傷気味なので、本日はヘンデルのヴァイオリンソナタをグリュミオーのヴァイオリンとロベール・ラクロワのチェンバロの組み合わせで。
 ヴァイオリンを習う人にとっては通過点でもあり、繰り返しここに戻って弾きたい曲でもあると思う。そして通奏低音というものの魅力を体感することもできる。

 本日は昨日図書館の往復で見た横浜緋桜の咲いている通りを、妻の買い物に付き合う形で再度歩いた。昨日は途中から道を逸れて国道沿いに歩いたので気づかなかったが、長いプロムナードの昨日私が歩いた南半分は満開であったが、昨日歩かなかった北半分はほとんど咲いていなかった。膝蔵の間に植わっている辛夷も半分ほどしか開いていない。日当たりはどちらも良好で南と北で差はない。この差がわからないまま通り抜けた。膝蔵だけならば早咲きと遅咲きの差があるとのことなので了解できるが、辛夷も差があることが理解できなかった。
 ただし来週までこの膝蔵を楽しめるということで、深い詮索はせずに満足することにした。帰りは思い買い物をザックに入れて、肩が凝った。
 明日は疣の切除手術ということで、おそらく麻酔の関係もあり、禁酒を申し渡されそうである。

頬に疣状のできもの

2017年03月29日 20時11分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 体調の変わり目の歳というのがある。20代の半ばでの急性肝炎などでの入院、40代になりたての頃のぎっくり腰の慢性化、50代の初めから半ばにかけての大腸の病気や高血圧・緑内障の発症、そして60代の半ば過ぎの今は脊椎棺狭窄と坐骨神経痛の発症や視力の衰え、白内障の歳相応の進行と続いている。
 坐骨神経痛の症状が出始めた1月の半ばから実は右の頬にできものが発現して気にはなっていた。疣のように膨らんできて、現在では髭を剃るのにも支障をきたしてきた。電気カミソリでも当たると痛い。旅行中のカミソリ使用でも傷つけそうである。手でいつも触ってしまうのでとても気になるし、触れるたびに多少の痛みがある。
 疣は背中や眉毛の部位にいくつかあるが、これほざ気になるところにできたのは初めてである。背中の疣は退職後にいつの間にかできていた。眉毛の中にある疣はいつできたかはわからない。これらは特に気にならない。さまざまな部位にいろいろな症状が発現するのはやはり体の変わり目なのであろう。

 坐骨神経痛の痛みが一段落したので、本日思い切って近くの皮膚科を受診してみた。医師の見立てでは「良性のもので、内部の白い脂肪様のものを取るだけならば本日でもできるが、すぐにまた盛り上がってくると思われる。手術で2針ほど縫うことになるが全体を切除すれば再発は防ぐことができる」とのことであった。
 全体の切除をしてほしい、と頼んだところ急遽明日に手術を設定してくれた。本日はその手術に向けて検査のための採血を行った。
 12歳のときのBCG接種痕や15歳のときの盲腸痕がケロイド状に盛り上がっており、多少の心配はある。「10代のときほどには細胞の再生は活発ではないので盛り上がるリスクは少ないのではないか」との50代のころ右膝の手術をしてくれた外科の医師の言もあった。BCGの接種痕は30代の頃に一度広めに切除して、ケロイド上の盛り上がり自体はほとんどないが、やけどの痕のようになっている。もしも今回の手術で傷口が盛り上がっても対処可能ではないかと自分で判断した。顔に多少の傷が出来ても、今さらとくに気にする歳でもない。

「鬼瓦」(加藤楸邨)から-2-

2017年03月29日 10時34分36秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日の続き。「鬼瓦」は広島・津和野・山口・松江など中国地方の旅の20句とその後の27句からなる。帰郷後の句では

★口見えて世のはじまりの燕の子
★日本にこの生まじめな蟻の顔
★水を出て白桃はその重さ持つ
★百合の終りはおのが重さの終りにて


 孵ったばかりの燕の子、きまじめな蟻の顔、みずみずしい白桃、萎れた百合‥これらの生と、人間の人為による殺戮である広島の原爆や宗教が絡む殉教という名の死を重ね合わせて読んでしまう。牽強付会とは言えないと思う。