Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は新年会の最後から2番目

2018年01月26日 22時14分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は昼から退職者会のあるブロックの新年会に参加することになっている。正体だが、むろん会費は払わなければならない。場所は横浜駅のすぐ傍。夕方には帰宅して明後日の団地の会議の資料の仕上げをしなくてはいけない。本日9割がたは出来上がった。

 「茶と琉球」は本日読了。明日の朝には覚書をアップできそうである。

 これから夜のウォーキング。昨日のような美しい半月を見ることができるであろうか。



一瞬雪がパラついた

2018年01月26日 20時25分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日に引き続いて「「茶と琉球人」(武井弘一、岩波新書)を横浜駅の喫茶店で読む。帰りは少し遠回りしたから帰ろうとしたが、少々時間を過ぎてしまった。あわてて自宅まで急ぎ足で歩いた。風が昨晩の夜のウォーキング時のように冷たい。途中で一時雪のようなものが一瞬パラついた。さいわい5分もしないうちに雲はどこかに消えた。
 昨夜も本日も高層はかなり強い風が吹いているようだ。昨晩は一時雲がほぼ全店を覆ったかけれど、すぐに晴れわたって上限の半月が西の空に美しかった。本日の雲の動きも早い。
 来週の半ば以降にまた南岸低気圧が通過するとの予報があった。できればもう雪は勘弁してほしい。
 今度の日曜の午後からは仙台に墓参、その後北リアス線に乗り、久慈・八戸経由で戻る予定。

軍手の匂いで思い出すこと

2018年01月26日 10時50分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 日課にしている夜のウォーキング、昨晩は一番寒く感じた。普段はまずすることがない手袋をして出かけた。手袋といっても軍手。軍手のあの匂いは不思議である。匂いにかなり鈍感な私でも匂う。新品であるほど匂う。

 軍手というのは多くの人は使い捨てと思っているらしい。イベントなどで配られると、作業が終わるとゴミとしてほとんどが捨てられてしまう。子どもたちも捨てるのが当然と思っている。
 現役のころに小学生の男の子に、「持って帰って使っていいんだよ」というと、困ったような顔をして、「臭いからいらない」と云われた。「学校や家で工作や大工仕事もどきをする時には軍手はとても有効だし、年末の大掃除でも役に立つのに」と同僚に話をしたら、「最近の子どもは大工仕事も、手を汚す掃除もしないし、学校も親もそんなことさせないよ」と云われてしまった。
 確かに私も好みの匂いではないが、慣れると懐かしく感じるようになる。2回から3回洗うと匂いは鼻先にもっていかない限り感じなくなる。ただし寒さで鼻をこするときには幾度洗っても残っている気がする。ひょっとしたら匂っているように感じるだれなのかもしれないが、匂いにかなり鈍感な私には自信はない。

 大きなつぶつぶの滑り止めのついた軍手は使いにくいが、細かい滑り止めのついた軍手は幾度も洗って山行に持って行く。何回も洗っているので、匂いはしない。妻に確かめてもらっても匂いはしないというから、間違いはないと思う。
 山行では岩場の下りと、下りで樹林帯に差し掛かった時に有効である。むかし、樹林帯で大きな木に手をかけたとき、大きななめくじのような虫を握りつぶしてしまって以来、忘れずに手袋をつけるようにしている。その時も手に嫌な匂いが残っている感覚に襲われて、今でも時々思い出すと鼻が異様に興奮して、水っ洟が流れ出てくることがある。私にとっては嫌なにおいというのは何時までも感覚に浸みこんでしまい、匂いがしないでも体が反応してしまうものらしい。
 軍手の匂いもそれに近い。ただし軍手で嫌な思いをした体験はないのが不思議である。

 現役の頃、当初は手袋と云えば軍手であった。次第に薄手の皮手袋が出てきたが出先の事務所の予算では高価で購入は出来なかった。そのために本庁の担当課まで行って、作業員の人数分を内緒で貰ってきたりして工面をした。組合交渉でようやく消耗品代などの予算の充実を働きかけ、厚手・薄手の皮手袋を一定購入できるようにした。当局側や、組合に懐疑的な職員は「軍手を使わくななり皮手袋ばかりになり贅沢だ」と言っていた。当時はみんな本気で怒ったが今では笑い話となった。軍手は使い道がなくなるわけではなく、皮手袋と今でも併存している。安全と使い勝手とは使う側がマニュアルを基本にしながら各自で判断している(はずだ)。