本日は学生時代の友人と横浜市港南区を流れる馬洗(うまあらい)川の源流までをたどることになった。源流とはいえ、今は野庭の農専地区を通って住宅地の中にある小さな公園が源流地点である。馬洗川というのは柏尾(かしお)川の支流で、北条政子が馬を洗った川という言い伝えがある。馬洗川に沿って鎌倉下(しも)の道があり、栄区の鼬(いたち)川から北上してきた道がここから弘明寺に向けて尾根沿いの道になるため、恰好の水場、休憩場所であったと思われる。
政子の井戸の名の由来は、政子の領有地(化粧料)の地とも、あるいは弘明寺や井土ヶ谷の浄蓮寺に政子自影の木造があることから、信仰に通った道であったからとも言われているが、定かではないらしい。ただ、付近の野庭という地名は野場が起源なので、現野庭団地にあった関城(せきしろ)の練兵場だったといわれている。そのために政子の名を冠した由来が語られた可能性もある。
馬洗川は旧野庭高校跡地で二つに別れ、下(しも)の道は支流沿いにあったようだが、本日は本流の「永谷平川」をたどって源流の野庭三谷町(のばみたにまち)公園まで歩いてみる予定である。ただしこちらの川沿いの道にも古い庚申塔があり、下(しも)の道は動いた可能性もある。なお、ここの傍にある小山台小学校・中学校付近は、「鎌倉下の道」と尾根沿いを進む「早駆の道」の分岐点でもある。
久しぶりの港南区の旧鎌倉街道歩きである。30年近く前に「道の日」のイベントで地元の小学生を集めてハイキングコースとして紹介しようとした道の一つであった。残念ながらもっと自然豊かな道もあったので、そちらにした経過がある。三谷の名の由来は旧金井村、野庭村、小菅ヶ谷村の交点に由来すると聞いたことがある。
私が昔参考にしたのは「こうなん道ばたの風土記」(編集:港南の歴史研究会)という100頁にも及ぶパンフレット。今は絶版となっているらしい。これに続くものが出版されていればありがたいのだが‥。
そしてこの風土記によると、本日歩く道のすぐ傍に荒畑寒村の里親の家があり、寒村はこの里親、臼居久兵衛を大変慕っていたというエピソードも記されている。