Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

冬の雨

2018年01月08日 22時48分40秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 午後遅くから本降りとなった雨は未だに降りやまない。予報では明け方までこのまま降り続くらしい。レインアイよこはまを見る限り、本降りといっても1時間当たり約10ミリ程度、ところどころ20ミリ程度の区域が点在しているもののその面積はごく狭い。
 午後になって傘をささなくとも歩ける程度の雨なので、ウォーキングを兼ねて出かけた。昨日記したように成人式典があるので、ターミナル駅は避けてゆっくり2時間ほど歩いてみた。周回コースの復路はコートが濡れ始め、やむなく傘をさした。気温は平年並みの10.7℃。あるいていると汗をかく程度に暖かく感じた。明日の横浜の予想最高気温は18℃と春の陽気。
 清宮質文展の図録を見ての感想は本日で終了。

 明日は、退職者会の幹事会。私にとっては仕事始めのようなもの。そしてさっそく新年会と思われる。

★戸一枚だけの灯もらす冬の雨     田中午次郎

「清宮質文展」の図録を見ながら (5)

2018年01月08日 20時35分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 清宮質文展の図録、どれも私の気に入った作品が並ぶが、特に印象の強かったものを並べてみる。

            

 1970年の「九月の海辺」(群馬県立舘林美術館)は浜辺に俯せの女性を配している。夕焼けの時刻であろうか。輝く海の印象と女性の姿態が印象的である。
 また「入日「暗い夕日」7」(1972、群馬県立舘林美術館)の入日シリーズ、1972年の「夕日と猫」(茨城県近代美術館)、1974年の「深夜の蝋燭」(群馬県立舘林美術館)なども興味をひかれた。
 最晩年の作品はガラス絵で色彩が明るい色となり、「さびしさ、悲しみ」を讃えた色彩ではなく、ルドンの花のように明るい色彩の満ち溢れていて、とても印象的であった。
 同時に色彩の輪郭線はどんどん曖昧となり、物質感が少しずつ希薄となり周囲に溶けだしてしまいそうなほどである。物が輪郭線と色を失うとは、存在そのものが危うくなることでもある。ここら辺の作者の思いについてはまだまだ私には理解できないことがたくさんありそうである。

「清宮質文展」の図録を見ながら (4)

2018年01月08日 13時44分24秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 「孤独な魂」(1956、個人蔵)は確かにオディロン・ルドンの影響がある。白い三日月上の口と思われる部分の上には、図録では判然としないが黒い円が描かれており、眼を表すようである。解説では「さみしさ、あるいは悲しみを讃えている」と書かれている。またルドンの「眼は奇妙な気球のように無限に向かう」も参考として掲げられている。



 私は、同じルドンの「キュクプロス」の眼のほうが清宮質文の描く眼に近いと思う。海のニンフであるガラテアに恋した巨人族キュクプロスのポリュペモスの片思いの悲劇に材を取った「キュクプロス」はルドンの家族関係の悲劇の反映でもあるらしい。暴力的に悲劇の幕が下ろされる以前のポリュペモスの報われない想いが、この一つの眼の「さびしく悲しい」視線に託されている。
 清宮質文の眼もまた、いづれの作品でも破滅的な悲劇にはならずに抑え込まれて沈潜していく「寂しさ、悲しさ」としてあらわされていると思う。人気の秘密はここにありそうである。人は誰もがそのような感情を抱えながら、そして破局を迎えることを回避しながら生を生きていく。
 ルドンが黒の世界から60歳を超えて色彩が溢れる世界へ飛翔したように、清宮質文もまた晩年に至って水彩やガラス絵などで色彩が明るくなっていく、と断言してしまうのは早計だろうか。