Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日中に帰宅出来るか!

2018年01月11日 22時36分11秒 | 読書
本日は少し早めに新宿発。本年2回目の新年会。友人の見舞いを終わってから参加したので、遅れていったら2千円にまけてくれた。千円のもうけ。
湘南新宿ラインは30分後という事で、副都心線・東横線を選択、特急がすぐに来て結果オーライ。
横浜から歩いても、日付が変わる前に帰宅できそうである。
本日は家を出るのが遅く、あまり歩く時間がなかった。家に着くまでに1万5千歩に到達出きるか微妙。

ゴッホ展の感想〈2〉

2018年01月11日 15時05分40秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 1888年2月、アルルに到着したゴッホを迎えたのは、南フランスでは珍しい雪景色。しかしオランダの冬の雪景色よりも明るい陽射しを反射する暖かい地方の雪景色にゴッホは、自分の思い描く「日本」の景色を見て感動している。出来上がった作品というのが「冬景色」(1888年、個人蔵)という作品とのことである。
 私はヨーロッパの絵画で雪を描いた作品はあまり記憶にない。雪を描いた画家や作品では、ブリューゲル、クールベ、モネの「かささぎ」、ヴラマンクの雪景色の作品くらいである。特に「かささぎ」が好みである。この作品、モネの「かささぎ」ほどのインパクトはなかったけれど、ピンクの雪原が暖かみのある南フランスの雪らしい雪景色という。私は日本の関東地方で降った翌日の晴れ間を思い出した。ゴッホの日本のイメージが現実とは違って思い込みによるものではあると思うが、これに関しては外れてはいないと感じた。
 近景を極端に大きく描き、中景をあっさり、そして遠景を細かく描写するというあたりが浮世絵の影響ということなのであろう。私は遠景の水平線がほんのわずかだが右側に傾斜し、そして近景が左手前から右奥に向かう線とが、右画面の外で交わるように描かれた構図がとても気に入った。右からの放射される景色の流れが安定感と静寂を醸し出している。これは広重の東海道五十三次などに見られる構図によく似ていることは確かなことのように思える。広重とは違って点景としての人間は描かれてはいない。これは風も含めて画面から「動」を一切排除した作品である。
 さらに右下の常緑樹の緑がアクセントに見え、それがどこかホッとする作品にしていると思った。



 「渓谷(レ・ペイルレ)」(1889年、クレラー=ミューラー美術館)は、「冬景色」とは正反対に、ゴッホ独特のうねるような筆致で描き、動きのない岩肌が見る人に迫って来るような印象を持たせている。
 解説では広重の東海道五十三次名所図会の49番目「坂の下 岩窟の観音」の川と滝とごつごつした岩肌の作品がベースにあると記している。
 こちらの作品か画面中央に2人の人物が歩いているように描かれている。しかし岩の間に映える植物と同じように岩肌の景色の中に人物は取り込まれている。その動きは目立つことはない。
 人間が広重とは違った意味合いで自然に溶け込んでしまっている。
 この絵の構図の最大の特色は対角線で明確に区切られた四つの区画である。左右の岩肌と上部の山と下部の川。
 近景としての真ん中下の三角状の川と、遠景としての画面中央上部の山とが対照的に描かれている。遠景の山は垂直の線で強調され、近景の川はおおらかな曲線で描かれている。遠景と近景の対比の間で岩肌はうねるような波上の曲線であらわされている。この波上の筆致は画面の下から斜め上へ焔のように描かれている。筆致の対比はずいぶんと凝っているように見える。
 色彩の点で見ると、遠景の山は色彩による遠近感を利用して青く描かれ、川は暖色系の色で描かれている。しかし遠景と近景の際立った対比とはなっておらず、色彩の効果としてはあまり成功していないように思ったのだが、いかがだろうか。
 はたしてゴッホはこの作品についてどのように自己評価したのだろうか。


冬の夕ぐれ

2018年01月11日 13時41分13秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★寒暮(かんぼ)の灯点けて雨音身を離る     鶯谷七菜子
★手元まで闇の来てゐる寒夕焼          菖蒲あや


 寒暮は冬の日の夕方。日没が早く、外灯や家々の灯が早くからともり、夕焼けも鮮やかではあるがすぐに昏くなり星が輝き出す。裸木やかすかに残った芒の穂をを照らす冬の夕焼けは印象的である。
 第一句、冬の雨、室内に明かりを点けると部屋の温度が数度上がったように感じることもある。まして冬の冷たい雨のときに実感する。そして雨音がわが身から離れて、屋外のこととして感じられる。火を点した一瞬の間の感覚の推移、感情の変化が読み取れる句である。
 人生の夕方を生きる人間には、一瞬の美が常に愛おしいはずなのだが、それほどのゆとりをもって自然を鑑賞しているかと自分に問うと、首を傾げ、そして寂しくなる。

 午前中は癌検診の予約。例年のとおりで特に変わったことはないが、毎年大腸の内視鏡検査を宣告される身としては、なかなかつらい。毎年この時期になるとそれが憂鬱である。内視鏡を除いたいくつかの検査は、妻と同じ日にしてくれた。前日の食事制限のことなどを考えるとこの方が楽である。大腸の内視鏡検査の日はまだ未定。

 癌検診の予約の後は、ゴッホ展の感想で取り上げる作品の画像の取り込みで時間を費やした。