「茶と琉球人」(武井弘一、岩波新書)を読み終わった。いつものとおり覚書風に記す。
まずは「はじめに」で以下の問題提起がある。
「はたして歴史上、琉球・沖縄は自立していたことはあったのか。仮に自立していたことがあったとすれば、その“自立”とはどのような状態をさすのか。」
この問題設定の後、記述はアジア・太平洋戦争のときの沖縄の人々の熊本県への疎開の体験談からはじまり、琉球国の成立と八重山諸島の併合-薩摩の琉球支配へと舞台を移し、近世琉球への熊本の球磨地方の茶の輸出の歴史へと論は進む。その中で近世琉球の農業の実態が述べられていく。
最後に
「本書の課題は、茶というモノをとおして、近世琉球の“自立”を問うことにあった。これまで明らかになった史実をふまえながら、上記の課題をクリアしていきたい。」
「琉球国は、この国が成り立ってから、アジアのなかで中継貿易によって繁栄をきわめた。それ延長上で、近世琉球にいたっても、海を介した交易によって社会が成り立っていたと先入観をもってしまいがちである。だが、中国との進貢貿易が赤字であったということは、裏を返せば、貿易に依存しなくても、琉球人の暮らしは成り立っていた‥」
「なによりも重要なのは、‥輸入品のなかには、米などの日常の食料は一切ふくまれていないということだ。これは琉球社会で食料を自給できていたことを意味する。」
「こと近世琉球という時代にかぎってみれば、本土と琉球が農業型者会であったことは共通点といってよい。農業生産力というモノサシで本土と比べれば、確かに琉球の生産力は低いし、それに農業方法もおくれていた。」
「(“持続可能性”というモノサシで測ると)近世琉球おいては、農業を土台として(本土では達成できなかった)持続可能な社会が、基本的には形成されていた‥」
「琉球農業国家。すなわち、これが「茶と琉球人」を追い続けてきたことで見えてきた、新たな琉球の国のカタチなのであった。したがって、これからは、琉球国=交易型社会という先入観をはぎとった、新たな琉球・沖縄史の研究をスタートさせていくべきである。」
と結ばれている。
これまで語られてきた近世琉球史に新しい視点を提示してくれたと思う。