Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

皆既月食は見ることができるか?

2018年01月27日 23時24分16秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 31日の満月まであと4日、本日は月齢10の月が大きく天頂付近に見えた。そういえば31日の皆既月食の満月もスーパームーンでひときわ大きいはずである。
 週間天気予報では31日は曇ときどき晴、という予報なので月食は見られると期待しているが、ひょっとしたら、南岸低気圧が通過する可能性もあるらしいので、断定はできないという。
 明日からの旅行の準備は出来た。しかし岩手県の三陸地方はかなり寒いようだ。

★寒月や猫の夜会の港町    大屋達治



明日は仙台・秋保温泉泊

2018年01月27日 21時02分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は午前中は団地の管理組合の会議とイベント。午後から墓参のため仙台に向けて出立。明日の夜は秋保温泉で宿泊する。明後日の朝に墓参を済ませてから、岩手県の三陸海岸にある田野畑に泊まる予定にしている。
 本日三陸海岸の旅行案内書を買ってきた。街中を歩く時間があるかはっきりしないのだが、取りあえず田野畑の地図や見学個所は頭に入れておく必要がある。新幹線の中では、読む本は決めてある。友人の著作「元慶の乱と蝦夷の復興」(田中俊一郎、郁朋社)を持って行く。感想を著者に伝えなくてはいけない。
 これから30分ほどかけて旅行の支度を済ませてから、いつものとおり夜のウォーキングの予定。このところ寒さが厳しいので、防寒対策を充分して外に出ている。道路にまだ解けずに残っている雪がこわい。


1月31日は皆既月食

2018年01月27日 19時04分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 月食は太陽ー地球ー月が一直線に並んだ時に起こる。
 今回は月の欠け始めから元に戻るまで全経過が見えるとのこと。全経過が見られるのは3年ぶりの現象で、3時間20分あまりのショータイムである。
 東京では、1月31日(水)の20時48分頃に肉眼で月が欠け始めるのが分り、1時間後の21時51分に皆既月食となる。皆既月食は23時8分迄、部分月食が終わるのは0時11分。
 皆既月食になると、月はワインレッドに光り、神秘的な美しさとなる。今回はより赤味が多いとの予報もされている。
 また今回は月が「かに座」にあって、すぐ傍には「プレセペ星団」という美しい星の塊が小さな雲のように見える。
 双眼鏡で見るのが一番なのだが、肉眼でも充分に楽しめるはずだ。日食とは違って肉眼や、双眼鏡で直接見ても眼に害はない。ただし寒いので暖かい服装が必要。

以下の画像は、国立天文台のホームページより【https://www.nao.ac.jp/astro/feature/lunar-eclipse20180131/


「茶と琉球人」(武井弘一)読了

2018年01月27日 09時15分43秒 | 読書
 「茶と琉球人」(武井弘一、岩波新書)を読み終わった。いつものとおり覚書風に記す。

 まずは「はじめに」で以下の問題提起がある。
「はたして歴史上、琉球・沖縄は自立していたことはあったのか。仮に自立していたことがあったとすれば、その“自立”とはどのような状態をさすのか。」

 この問題設定の後、記述はアジア・太平洋戦争のときの沖縄の人々の熊本県への疎開の体験談からはじまり、琉球国の成立と八重山諸島の併合-薩摩の琉球支配へと舞台を移し、近世琉球への熊本の球磨地方の茶の輸出の歴史へと論は進む。その中で近世琉球の農業の実態が述べられていく。

 最後に
「本書の課題は、茶というモノをとおして、近世琉球の“自立”を問うことにあった。これまで明らかになった史実をふまえながら、上記の課題をクリアしていきたい。」
「琉球国は、この国が成り立ってから、アジアのなかで中継貿易によって繁栄をきわめた。それ延長上で、近世琉球にいたっても、海を介した交易によって社会が成り立っていたと先入観をもってしまいがちである。だが、中国との進貢貿易が赤字であったということは、裏を返せば、貿易に依存しなくても、琉球人の暮らしは成り立っていた‥」
「なによりも重要なのは、‥輸入品のなかには、米などの日常の食料は一切ふくまれていないということだ。これは琉球社会で食料を自給できていたことを意味する。」
「こと近世琉球という時代にかぎってみれば、本土と琉球が農業型者会であったことは共通点といってよい。農業生産力というモノサシで本土と比べれば、確かに琉球の生産力は低いし、それに農業方法もおくれていた。」
「(“持続可能性”というモノサシで測ると)近世琉球おいては、農業を土台として(本土では達成できなかった)持続可能な社会が、基本的には形成されていた‥」
「琉球農業国家。すなわち、これが「茶と琉球人」を追い続けてきたことで見えてきた、新たな琉球の国のカタチなのであった。したがって、これからは、琉球国=交易型社会という先入観をはぎとった、新たな琉球・沖縄史の研究をスタートさせていくべきである。」

と結ばれている。

 これまで語られてきた近世琉球史に新しい視点を提示してくれたと思う。