昨日届いて本日の眼をとおしたのは「東京国立近代美術館ニュース『現代の眼』626」(2018年1-3月号)。
収録された論考の内、
①「熊谷守一の初期の支援者たち」(石橋尚)、
②「横たわる守一」(沢山遼)
③「アートは『難民』を先入観から解放する」(保坂健二朗)
④「自然を愛でる-近代陶芸家・三者三葉-北大路魯山人・富本健吉・濱田庄司」(清水真砂)
⑤新しいコレクション「清宮質文《夕暮れの裏門》」(保坂健二朗)
⑥作品研究「文字通り《南風》を斜めから見る-和田三造の漂流」(桝田倫広)
の6編。
①から
「売るための絵を描かない事に関して、守一は実に徹底している。」
「支援したくなるような人柄もまた実力の内ということであるならば、これも画家の制作と生活のあり方をめぐる、ひとつの真実ではある。」
②から
「その芸術は距離の現実的な相対性や、世俗のさまざまな制約を含めた現在の重みを超えようとする強靭な意思に貫かれており、それは絵画それ自体に潜在する飛躍する力となって観る者を勇気づける。」
「近年熊谷解釈は大きく変化した。新たに浮かび上がったのは、視覚の特製を踏まえ、色や形、構図を徹底して考え抜く、いわばハードコアなモダニストとしての熊谷の姿であり、‥」(蔵屋美香)
③から
「ある人物に『国家』の名称がなにげなく冠された時点で、そこにふと『難民』の問題が浮かびあがってしまう可能性があるのが現在であるということを提起しているところにある。」
⑤から
「ガラス絵の魅力は色の透明感にあります。透明な厚みのある物質の向こう側に色が重なるガラス絵では、絵の表面のテクスチャーはほとんど感じられません。その結果、イメージから物質感が除去されて、色が光のように透明に感じられるわけです。」
「彼はガラス絵において色を輪郭から解き放つことに関心があったと推測できます。そして、様々な事物の輪郭線が溶けるのは、「誰そ彼(黄昏)」の時空の中でなければならなかったのでは。」