明日から明後日にかけて全国的に天気は荒れて、関東地方では雨が降るらしい。しかも明後日の最高気温が横浜では17℃との予報。春の気温である。
明日は成人式、今ではだれもが異を唱えないようだが、あの晴れ着と称する振袖、紋付きなる装束にどうしても違和感を持つ。できるだけあのような格好の傍に近寄らないようにしている。街に出るとどうしても出くわしてしまう。ということで、明日は横浜駅まで出かけることは避けたい。新横浜駅近くで横浜市の成人式展があるので、横浜駅もまたあの装束で溢れかえる。
私が「成人式」を迎えたのは、1972年。学費闘争がこじれて大学のバリケードの中でその日を迎えた。特に「成人式」という意識はなかったし、どちらかというとあの晴れ着には各マスコミもまた懐疑的な論調が多かった。男は紋付などというものは「封建遺制」ということでまず着なかった。ネクタイ・背広姿が多かった。女性は振袖で変わらなかったが、あまりの派手さ、煌びやかさには社会は総じて否定的であった。
私がたまたまその日の昼に、バリケードの中での食事の買出しに出て、仙台市の成人式展の会場の前を通りかかった。そのとき赤子を抱いて振り袖姿姿で成人式典から出てきた嬉しそうな女性に出くわした。その瞬間、私はこの赤子を抱いた女性がとても大人びて見えた。私などの運動が彼女らにはまったく届いていないことの象徴のような気がして、たじろいだことをおぼえている。直接に背負っている生活の重み、というものをいたく感じた。
むろん参加している多くの当時の学生は仕送りも途絶えがちな次男、三男ばかり。数少ない女性も「早く就職ないし結婚」して親に仕送りをしなくてはいけないといわれつづけていたいわゆる「貧乏学生」が極めて多かったので、背負っているものに差はなかったのだが‥。そして頭の中では人はそれぞれそこにある状況の中で、抱え込んだ問題をできるだけ普遍化しながらもがき続けることでしか自分の生き方を見つけることは出来ないと思っていた。それをあらためて強く実感した日であった。
私の娘のときは、娘が振袖なるものは着てみたい、というので成人式の半年前の誕生日に振袖を着て写真を撮影してもらった。成人式当日は娘はどこかに遊びに行って、参加しなかったと記憶しているが、そこら辺の記憶はどうもはっきりしなくなってしまった。
明日は成人式、今ではだれもが異を唱えないようだが、あの晴れ着と称する振袖、紋付きなる装束にどうしても違和感を持つ。できるだけあのような格好の傍に近寄らないようにしている。街に出るとどうしても出くわしてしまう。ということで、明日は横浜駅まで出かけることは避けたい。新横浜駅近くで横浜市の成人式展があるので、横浜駅もまたあの装束で溢れかえる。
私が「成人式」を迎えたのは、1972年。学費闘争がこじれて大学のバリケードの中でその日を迎えた。特に「成人式」という意識はなかったし、どちらかというとあの晴れ着には各マスコミもまた懐疑的な論調が多かった。男は紋付などというものは「封建遺制」ということでまず着なかった。ネクタイ・背広姿が多かった。女性は振袖で変わらなかったが、あまりの派手さ、煌びやかさには社会は総じて否定的であった。
私がたまたまその日の昼に、バリケードの中での食事の買出しに出て、仙台市の成人式展の会場の前を通りかかった。そのとき赤子を抱いて振り袖姿姿で成人式典から出てきた嬉しそうな女性に出くわした。その瞬間、私はこの赤子を抱いた女性がとても大人びて見えた。私などの運動が彼女らにはまったく届いていないことの象徴のような気がして、たじろいだことをおぼえている。直接に背負っている生活の重み、というものをいたく感じた。
むろん参加している多くの当時の学生は仕送りも途絶えがちな次男、三男ばかり。数少ない女性も「早く就職ないし結婚」して親に仕送りをしなくてはいけないといわれつづけていたいわゆる「貧乏学生」が極めて多かったので、背負っているものに差はなかったのだが‥。そして頭の中では人はそれぞれそこにある状況の中で、抱え込んだ問題をできるだけ普遍化しながらもがき続けることでしか自分の生き方を見つけることは出来ないと思っていた。それをあらためて強く実感した日であった。
私の娘のときは、娘が振袖なるものは着てみたい、というので成人式の半年前の誕生日に振袖を着て写真を撮影してもらった。成人式当日は娘はどこかに遊びに行って、参加しなかったと記憶しているが、そこら辺の記憶はどうもはっきりしなくなってしまった。