Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夕方に出かけてバテ気味

2018年08月05日 23時35分11秒 | 読書
 夕刻からゆっくり歩いて横浜駅まで遠回りをして歩いた。陽射しが長くなった16時過ぎに出かけたのだが、やはり暑くて称しようバテ気味に横浜駅に着いた。
 その上、本日は地下街や店の冷房がやけに強く感じた。体調が悪くなると冷房に対して体が異常に反応してしまうのか、あるいはそもそも冷房が強めに去っていされていたのかは不明。ただしいつもより体に応えたことは確かである。冷房がきつく感じるということは、逆に外に出たときも、体に大きなストレスを与えることになる。帰宅してしばらくボーっとしていた。
 やはり本日は外に出ない方が良かったかもしれないと、反省。

 夕食は近くのイタリアンの店に出かけて、一応誕生祝をしてもらった。

「しのぶ・あだたらのむかしばなし」から 3

2018年08月05日 16時27分43秒 | 読書


 第18話「雷太と三太郎」や第21話「沼の底のお屋敷」は水への信仰、農耕と水に関わるもので、前半にもそれは出てきた。たいがいが土地開発神話と結びついているが、この教訓話としての性格が強いのは私の勝手な推定では発生自体はそれほど古いものではなさそうである。
 恐ろしい結末による「タブー」の設定話ではないところが面白い味噌なのだと察している。



 第21話も悲恋話、悲劇の婚姻譚・異界譚とは言いながら悲劇が後景に追いやられている。悲劇を回避するような構造・作りとして伝えられる心性にも惹かれるものがある。
 第19話「懸田御前の観音像」という悲劇は、たぶんに実話に近いものなのであろうと思われる。創作にしては「救い」はない。救いとなる部分は後段の、「加害者」=「悪者」が世継ぎに恵まれず「怨霊」対策に寺を建てることと、さらに時代が下ってその観音堂の再建話とすり替えられる。
 殿様の滅びの原因、悪者=家臣の裏切りの原因については遂に語られることはない。
 おそらくこの物語りの原因、発端とするべき話が隠れなければ、悲劇性が成り立たない史実なのであろうと推察した。「むかしばなし」と「語り物」の分水嶺は、ここにあると思う。



語り継ぐこと

2018年08月05日 13時42分12秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 正午前に団地の会議は終了。昼は素麺にとろろとめかぶ、梅肉とおろし生姜を汁に混ぜて食べた。梅肉を入れたのは今回はじめての試み。美味しかった。ネギやミョウガをたっぷりかけて食べるのも美味しいが、とろろとめかぶを大量に汁に入れるのもいいものである。

 16時近くまでは外に出てウォーキングなどをすることはとてもではないが無理である。おとなしく読書タイム。

 私の誕生日が来たということは、とりもなおさず、明日6日は広島、9日は長崎の原爆の日である。
  
★キャラメルの赤き帯封原爆忌        吉村 明

 人は何かを記憶するとき、現実そのものを丸ごと仔細に記憶するのではない。その記憶を呼び起こす何かのきっかけとなるものを頼りに過去の記憶を呼び起こす。さらにとくに何かの契機となるものがなくとも、ふとある一つのものに触発されて過去の記憶が鮮明に、突如として記憶の奥からよみがえることがある。
 キャラメルの赤い帯封は、後者なのではないか。8月に入り、店先か、子どもが手にしたキャラメルの付いていたビニールの覆いを剥ぐための赤い帯封が目に入り、突如として原爆の日の思い出、あるいは現実が浮かび上がった、と私は解釈した。
 ひょっとしたら、戦争中に幼児期を過ごした人々にとっては敗戦そして戦後につながる時代はキャラメルなどというのは贅沢な嗜好品として満足に口にできなかった世代であるかもしれない。作者もその世代なのだろうか。さらに想像は進んで、あのむごい原爆により、多くの子どもも亡くなり、キャラメルなども口にすることもなく亡くなったのではないか、というふうにイメージが膨らんでいった。そんな瞬間のイメージを言葉で定着させた結果としてこの句があるように思われる。
 敗戦後73年、直接の戦争体験を語る方もごく少なくなった。これからは私たちは、直接の戦争体験を直接に聞くことはほぼなくなる。あとは直接聞いた体験を自分らの世代の言葉で語り継ぐか、敗戦後の混乱期の体験を自分の言葉で語り続けるか、どちらかしか残されていない。語り継ぐということは、とても難しいことなのだと、最近理解し始めている。難しさの中身は、おいおい語っていきたい。

とうとう67歳・・

2018年08月05日 00時05分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝から団地の管理組合の会議、正午には終了予定。午後は読書タイムとしたい。夕方影が伸びてから1時間半ほどウォーキングもしたい。
 夕食は、近くのレストランに行くことが決まっているらしい。とうとう私も本日で67歳になった。否、なってしまった、という表現の方がいいようだ。

 毎年歳をとるたびに、「もうこんな歳になってしまった」という感慨ばかりが先に立つ。そしてそれ以外の感想が浮かんでこない。そうしていつの間にか歳のことを忘れて、年末年始にふたたびこんどは○○歳か、と毎年思う。
 こんなことの繰り返しを自覚してもう10年くらいだろうか。50代なかば過ぎからは「60歳なんていう歳にどうしてなってしまったんだろう。よくも、図々しく生きて来たもんだ」と思った。「図々しく」という感慨は今でも心の片隅にある。しかしそれが表立って強く意識することはなくなった。

 さて、67歳になって何がしたいか。それはまったくわからない。これまでのようにもがきながら息をしているうちに68歳になるかもしれない、と思うばかりである。