Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

東京国立博物館「縄文展」 2

2018年08月29日 22時09分11秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 今回の展示で私が引かれたものは、山形土偶と分類されたもの。岐阜県・千葉県・茨城県から出土している。三角形の頭と遮光器土偶を連想させる細メ、そして拡げた両手が特徴に思える。文身(入れ墨)も鮮明に記されている。着物の柄とは思えなかった。



 三角形の顔は仮面のような気がする。両乳房が顕著なことから女性と思われ。
 土偶というのは、女性・男性と明確にできるものではなく、あえて言えば両性の場合もあるし、性別を超えた何ものか、なのかもしれない。しかしこれは明らかに女性である。あるいは女性をかたどっている。
 山形県から出土したという「結髪土偶」というのも形は何となく似ているが、両手が水平に保たれ、下半身の文身が点の集合、上半身の文身が線状である。こちらは男女判断できない。子どもの可能性がある。目は遮光器土偶によく似ている。



 もうひとつビックリしたのが、茨城県出土の注口土器。黒光りした肌はかり高温で作られ、固そうである。何よりも把手月であること、そして紋様が中国的なことに驚いた。明らかに焼成の仕方に違いがあるのではないか。縄文時代の後期のものなのだが、どのような影響関係が、どこと会ったのか、とても気になった。

きりぎりす

2018年08月29日 20時17分45秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨晩外に出たときに玄関扉の横の壁面に緑色のきりぎりすが1匹止まっていた。扉の開閉時に家の中に入って来ても困るので、手で2回ほど軽く押して、外の草むらに連れ出した。
 本日も夕方ウォーキングから帰ってきたところ同じような大きさのきりぎりすが再び扉の横に止まっていた。昨晩のキリギリスとは思えないがなんとなく親近感が湧いてきた。しばらく眺めていたが、蚊が襲ってきたので、観察は中断。昨日のように指に2回ほど軽くつついて草むらに追いやってから家に入った。
 緑色が鮮やかであった。本日はスマホで写真を撮ればよかったと反省。明日も現れるであろうか。2度も会うと、同じきりぎりすに思えてしまう。

★きりぎりす鳴かねば青さまさりける      日野草城
★きりぎりす夕日は金の輪を累ね        友岡子郷


 キリギリスの緑色は鳴くことで色が深まるのか、あるいは精いっぱい鳴くことで青さの進行を止めているのか。確実に言えることは、鳴くことで秋の進行を加速させている。
 秋の夕日にキリギリスの緑は似合う。金と緑、互いに色を深め合っていないか。夕日とキリギリス、遠景と近景の対比が美しい。


稲妻

2018年08月29日 11時14分34秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日に続き朝からどんよりとした天気。蒸し暑い。気温は30℃には届かないと思うが、湿度が85%もある。

★来し方の一処にはかにいなびかり     天野信敏
★稲妻にとも綱青き水垂らす        庄司たけし
★秋雷の終はりは嗚咽隠岐の島       熊谷愛子


 秋の激しいいなびかりを見ていると、時空を飛び越えて、過去のある一瞬が強烈な光とともに照らし出され、その時の自分にたじろいでしまうことがある。今から思えば恥ずかしかったこと、至らなかったことの方が多い。成功や楽しいことは照らし出されない。いなびかりは本の一瞬の出来事だが、思い出されたその事象は妙に心にいつまでも引っ掛かる。
 稲妻は意外と海が似合う。遠く続く暗い海や闇の夜に隠れている断崖や背後の山を照らし出す。そして一番近くにある小さな船を舫う綱も照らす。遠くを照らす稲光、手前を照らす稲妻どちらが遠くの時空をより照らすのか。
 隠岐の島は古くから遠流の島として名高く、後鳥羽上皇、後醍醐天皇の配流地である。特に後鳥羽上皇は此処で亡くなっている。配流者の恨みのような激しい秋の雷も終わるときは、嗚咽のように静かに消えていく。