Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

残暑

2018年08月10日 22時23分46秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 残暑、という言葉が飛びかう時節になった。残暑・秋暑しはむろん秋の季語。

★吊革に手首まで入れ秋暑し    神蔵 器

 満員電車での通勤は、夏バテの身にはつらい。手首まで入れて吊革にぶら下がる勤め人も多い。出来ればそのような姿はさらしたくないのだが、‥。

★朝夕がどかとよろしき残暑かな  阿波野青畝

 本当はこのような残暑であって欲しい。しかし昨今は朝夕と云えども厳しい暑さである。

やはり夏バテなのだろうか‥

2018年08月10日 18時38分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夏バテという言葉はこれまで何十年も私とは無縁であったが、どうも夏バテ気味のようだ。本日も読書タイムとしたかったが、どうも体と頭のだるさがまだ残っている。
 読んでいた本の字は大きいのだが、頭に入らない。かといって寝たいわけでもない。やむなく、7日に行った横浜美術館の「モネ それからの100年」展と8日にいった東京国立博物館の「縄文」展のチラシ、展示目録、気に入った作品をスキャナーで取り込む作業を行った。このような時は単純作業の方がはかどるし、頭のリハビリになる。これは現役時代からやっている、頭が飽和じょうたいになってしまったときのリハビリである。
 縄文展は終了。モネ展の気に入った作品はまだ取り込んでいないが、チラシと展示目録までは終了。夜の作業はモネ展の気に入った作品を選ぶ作業にしてみたい。

 夕方からは団地内の巡回を少々。明日の会議の資料作りは終了したので、楽である。明日の会議は夜だと思い込んでいたら、明日は朝10時からであった。変更になっていたことに先ほど気がついた。
 やはり頭の中がまだ倦んでいる。正月から春先にかけての忙しい時のじれったさとは違って、抑うつ感はない。人と接するのも苦にはならない。

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典 平和への誓い

2018年08月10日 17時17分42秒 | 読書
長崎原爆の日「平和への誓い」全文

 1945年8月9日、13歳だった私は、爆心地から3.2キロ離れた自宅の2階で被爆しました。爆風で飛んできた大きなガラス戸の下敷きになりましたが、奇跡的に無傷で助かりました。
 3日後の今ごろ、私は、家屋が跡形もなく消滅し、黒焦げの死体が散乱するこの丘の上を歩き回っていました。捜し当てた父方の伯母の家屋跡には、黒焦げになった伯母たち家族の遺体が転がっていました。この時、丘の下の上野町では、3日間生きながらえた母方の伯母の遺体をトタン板に載せて焼いていました。焼き終えた人の形をとどめた遺骨を見たとき、優しかった伯母の姿が目に浮かび、その場に泣き崩れました。原爆により身内5人の命が一挙に奪われました。この日一日、私が目撃した浦上地帯の地獄の惨状を私の脳裏から消し去ることはできません。
 原爆は全く無差別に、短時日に、大量の人々の命を奪い、傷つけました。そして、生き延びた被爆者を死ぬまで苦しめ続けます。人間が人間に加える行為として絶対に許されない行為です。
 全国に移り住んだ被爆者たちは、被爆後10年余り、誰からも顧みられることなく、原爆による病や死の恐怖、偏見と差別などに一人で耐え苦しみました。
 ビキニ環礁での、54年3月1日のアメリカの水爆実験による「死の灰」の被害に端を発し、全国に広がった原水爆禁止運動に励まされて、56年8月、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成されました。
 日本被団協に結集した被爆者は、「同じ苦しみを世界の誰にも味わわせてはならない」と原爆被害の残虐な真相を、国の内外に伝え、広げ、核兵器の速やかな廃絶を世界に訴え続けてきました。
 2010年代に入り、国際政治の場において、核兵器の非人道的な被害に焦点が当てられるようになるなか、長年にわたる被爆者と原水爆禁止を願う市民社会のさまざまな活動、さらにICANの集中的なロビー活動などが実を結び、17年7月、「核兵器禁止条約」が国連で採択されました。被爆者が目の黒いうちに見届けたいと願った核兵器廃絶への道筋が見えてきました。これほどうれしいことはありません。
 ところが、被爆者の苦しみと核兵器の非人道性を最もよく知っているはずの日本政府は、同盟国アメリカの意に従って「核兵器禁止条約」に署名も批准もしないと、昨年の原爆の日に総理自ら公言されました。極めて残念でなりません。
 核兵器国とその同盟国は、信頼関係が醸成されない国が存在する限り、核抑止力が必要であると弁明します。核抑止力は核兵器を使用することが前提です。国家間の信頼関係は徹底した話し合いで築くべきです。
 紛争解決のための戦力は持たないと定めた日本国憲法第9条の精神は、核時代の世界に呼びかける誇るべき規範です。
 私は、多くの先人たちの働きをしのびつつ、速やかに「核兵器禁止条約」を発効させ、核兵器もない戦争もない世界の実現に力を尽くすことを心に刻み、私の平和への誓いといたします。

   2018年(平成30年)8月9日           被爆者代表 田中熙巳


微かな風でもうれしい

2018年08月10日 11時00分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜の本日の天気予防では最高気温33℃。良く晴れている。強風・雷注意報が出ているものの、風は団地のなかではほとんどない。
 今朝、扇風機のリズム風だけでは暑いので、寝室の窓を開けた。しかし団地の中、風が弱いと住棟の間を抜ける風となるので、西から東へ抜けるだけである。毎度のことながら、窓から風はほとんど入ってこなかった。それでも温度差より生じる風がわずかに寝室の気温を下げてくれたようだ。2℃くらいはさがっただろうか。6時から8時までは熟睡できた。
 先ほどまで私の部屋の窓は閉めたまま扇風機を回していた。背中から汗が滲み出てきて、慌てて窓を開けた。扇風機を回さなくとも風が窓から入ってきた。パソコンの放熱で部屋の気温がだいぶ上がっていた。部屋と外気温の温度差による風である。
 さらに横浜市域の風は南南西となっている。南側は北側よりも向かい側の住棟との間がかなり広い。向かい側の住棟と住棟の狭い切れ目から風が少しだけ流れてきている。
 このふたつによってもたらされた微かな風がうれしい。

 本日は明日の夜の会議の資料作りを午前中に仕上げた後は、読書タイムとしたいもの。