Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

熱が出てきた

2018年08月16日 21時12分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕食時、大量の汗が出てきた。いつもとは違う汗にビックリ。シャワーでごく軽く汗を洗い流したのち、30分ほど一眠り。体温をはかったら37.2℃と上がってきた。

 これ以上上がるのか、この邸での微熱が続くのか、良そうも出来ない。病院の診察が始まる月曜日までお品詩句していなくてはいけなくなった。

 横浜美術館の「モネ展」の感想、東京国立博物館の「縄文展」の感想をまだまとめていない。しかしこれはこのボーっとした状態では無理。ベッドの脇には「ベラスケス」(岩波新書)を置いてあるが、手に取る気分にもならない。

体調が再び思わしくない

2018年08月16日 18時10分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は曇で最高気温は31.5℃、最大瞬間風速が19メートルと、雨は降らずとも荒れ模様の天気であった。雲は暑く垂れこめているのではなく、積雲が空一面に散らばっていて、本のわずかに青空がのぞいている。
 14時ごろに妻と区役所の傍のJRの駅まで買い物に出かけた。ところがどうも足もとがふわふわしている。そのうちに冷汗を頭からかき始めた。お腹ら太ももまでの筋肉が重苦しい。運動をした後の心地よい筋肉の疲労感とは明らかに違う。熱中症なのかと思ったものの、昨日は快調だったが、その前の日の症状をひどくしたような気分であった。
 本当は買い物が淡ったあとは妻と別れてウォーキングに出かけるつもりだったが、買い物が終わってからタクシーで一緒に帰宅した。
 シャワー後体温をはかったら、34.5℃。30分後には36.5℃。さらに1時間後は36.8℃。評価が何とも難しい。普段、昼間は36.2℃くらいのたいおうであるが、場合によっては36.5℃まであがることも多い。
 頭がボーっとしている。疲労感と脱力感が強い。食欲はある。寝ているのも頭がボーっとしてつらい。起きるのもまただるい。

 近くの内科の病院はどこも今は休みに入っている。月曜から一斉に診療を始める。

NHK「ノモンハン 責任なき戦い」(追記)

2018年08月16日 10時44分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
【追記】

 通りがかり人様の指摘のように、番組の中では101歳の兵士の方が、碑に水を掛けていたのが、印象に残った。弾として、消耗品としてしか扱われなかった兵士のひとりとして、生きのびたものとして、出来るだけ長い生を生きて欲しい、語ってほしい、と願っている。

 責任は現場で苦闘するものへ押し付けること、責任を取らすということは原因には頬被りして「自決」させること、責任よりも情実、第一線の兵の生死は「責任」の範疇の埒外であること、この無責任体制が日本の戦前の天皇制の根拠であったと思う。責任の頂点にいる天皇を守るために、下部に責任を押し付ける。私はそれが、現代の政権と二重写しに見えてしまう。

 もうひとつ気になった言葉が、参謀の多くが天皇のことを「天さん」と呼んでいたこと。戦後の録音とはいえ、彼らには結局のところ天皇への敬意も、天皇制への尊敬と帰依もなかったのである。あったのは「天皇」を利用した保身と名誉欲だけだったのではないか、と感じた。

 我々の戦後の世代には、戦争体験者の追体験はしたくはないし、もし追体験してしまうということは若い世代の犠牲者を招くことである。われわれにできることは、戦争体験者の語りを次に伝えることと、忘れさせられようとしていることを掘り起こすこと、戦後の混乱期の飢えや貧しさや、理不尽を実体験として語り続けること、そして戦後の世界がどのように作られ、維持されてきたか、これを語ることであろう。我々の世代に課せられた課題は私がこれまで考えていたことよりも膨大である。

NHK「ノモンハン 責任なき戦い」

2018年08月16日 00時04分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨晩は、NHKで「ノモンハン 責任なき戦い」を見た。彼我の力関係を無視し、権限を越えた戦線拡大、そして敗戦の責任を誰かに押し付けて自らは責任をとらない、日本の軍・政治の現在まで続く体質を充分に語っていたと思う。
 これまで、インパール作戦、731部隊などの番組を見てきた。NHKは以前はこのような番組が多かったと思うが、最近はあまりお目にかかっていないような気がする。政治ニュースが実に見るに堪えないものが多い中、せめてもの救いということなのだろうか。悲しい気がする。