Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「夕凪の街 桜の国2018」(NHK)

2018年08月06日 23時44分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 テレビは美術番組くらいしか普段は見ることはないのだが、本日久しぶりにテレビのドラマを見た。NHKで放映された、特集ドラマ「夕凪(なぎ)の街 桜の国2018」。
 解説では次のように記されていた。
★「この世界の片隅に」で知られる漫画家・こうの史代のベストセラーをドラマ化/原爆に人生を翻弄されながらも、ひたむきに生きる女性、そして現代に生きる一人の女性/60年のときを経て、二人をつなぐ糸とは?/原爆とは、家族とは?/静かに胸にせまる感動の物語/主演:常盤貴子・出演:川栄李奈、橋爪功/核と平和に向き合ってきたNHK広島放送局が開局90年の節目におくる特集ドラマ/この夏、何かを感じたいあなたへ!!
【⇒https://www.nhk.or.jp/hiroshima/drama/index.html

 普段はテレビドラマというのは見ることはない。場面の展開が最近は早すぎることと、つまらない処世訓を垂れるドラマに閉口して30数年以上前に見ることをしなくなった。普段見る照れば番組は美術の特集などと、妻の見るベイスターズの試合のエッセンスにかぎられている。
 今回のドラマの展開は私にはちょうどいい店舗ではあった。そしてあまりドラマチックに大袈裟な演出もなく、落ち着いて見ることはできた。
 難点をいえば、主人公の父、石川旭の若い時の回想で、バラックのようなあばら屋が並ぶ一角の取り潰し、強制撤去の噂に対し、住人が旭の実家に押し掛ける場面がある。この実家に押し寄せる住人の造形が類型的で運動そのものを茶化し、揶揄しているとしか思えないことである。抵抗運動というのはこんなにもいい加減に造形されていいものなのか、首をかしげた。それ以外は場面は、美しい風景と場面にマッチした景色に好感が持てた。
 そして最後の結末、主人公石川七波が結婚を決意する場面で終わるが、「幸せ」がどのような結婚の形態なのかは明確にはなっておらず、曖昧にしてある。原作とは違う人物の結婚譚なのだが、はたしてそれが本当の作者の意図なのか、ふと疑問にも感じた。原作の方がより明確に、現代的なもののようだが‥。
 総じて、「毒がなくなってしまった」といったらいいのだろうか。それは主人公七波の兄の連れ合いとなる女性の回心の物語から、姪の風子の回心と七波本人の回心の物語に変容させたことによるものと思われる。原作者の承認のもとの変容らしいが、これによって甘く、そして毒がなくなってしまったことは否めない。

 再放送もあるようだ。


広島「平和への誓い」(2018年)

2018年08月06日 20時44分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今年の「平和への誓い」は以下のとおり。

【経緯】被爆50周年(平成7年)の平和記念式典では、広島市長の平和宣言に続いて、初めてこども代表が「平和への誓い」を述べました。これは、「こども平和のつどい」で世界のこどもたちが話し合った結果を平和への決意として述べたもので、翌年以降もこの成果を引き継ぐ「こどもピースサミット」を開催し、「平和への誓い」を発信しています。

※「こども平和のつどい」は、被爆50周年の記念事業として、未来を担うこどもたちが平和への努力を行うために、平成7年7月31日から8月6日まで広島市で開催されたものです。世界の12の国・地域の15都市から194人の小学校5・6年生が参加しました。

~平成30年度「平和への誓い」~

人間は、美しいものをつくることができます。
人々を助け、笑顔にすることができます。
しかし、恐ろしいものをつくってしまうのも人間です。

昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分。
原子爆弾の投下によって、街は焼け、たくさんの命が奪われました。
「助けて。」と、泣き叫びながら倒れている子ども。
「うちの息子はどこ。」と、捜し続けるお父さんやお母さん。
「骨をもいでください。」と頼む人は、皮膚が垂れ下がり、腕の肉が無い姿でした。
広島は、赤と黒だけの世界になったのです。

73年が経ち、私たちに残されたのは、
血がべっとりついた少女のワンピース、焼けた壁に記された伝言。
そして今もなお、遺骨の無いお墓の前で静かに手を合わせる人。
広島に残る遺品に思いを寄せ、今でも苦しみ続ける人々の話に耳を傾け、
今、私たちは、強く平和を願います。

平和とは、自然に笑顔になれること。
平和とは、人も自分も幸せであること。
平和とは、夢や希望をもてる未来があること。

苦しみや憎しみを乗り越え、平和な未来をつくろうと懸命に生きてきた広島の人々。
その平和への思いをつないでいく私たち。
平和をつくることは、難しいことではありません。
私たちは無力ではないのです。
平和への思いを折り鶴に込めて、世界の人々へ届けます。
73年前の事実を、被爆者の思いを、
私たちが学んで心に感じたことを、伝える伝承者になります。

 平成30年(2018年)8月6日
                こども代表 広島市立牛田小学校   6年 新開美織
                      広島市立五日市東小学校 6年 米廣優陽

広島平和宣言(2018年)

2018年08月06日 19時54分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今年の広島平和宣言は以下のとおり。

73年前、今日と同じ月曜日の朝。広島には真夏の太陽が照りつけ、いつも通りの一日が始まろうとしていました。皆さん、あなたや大切な家族がそこにいたらと想像しながら聞いてください。8時15分、目もくらむ一瞬の閃光。摂氏100万度を超える火の球からの強烈な放射線と熱線、そして猛烈な爆風。立ち昇ったきのこ雲の下で何の罪もない多くの命が奪われ、街は破壊し尽くされました。「熱いよう!痛いよう!」潰れた家の下から母親に助けを求め叫ぶ子どもの声。「水を、水を下さい!」息絶え絶えの呻き声、唸声。人が焦げる臭気の中、赤い肉をむき出しにして亡霊のごとくさまよう人々。随所で降った黒い雨。脳裏に焼きついた地獄絵図と放射線障害は、生き延びた被爆者の心身を蝕み続け、今なお苦悩の根源となっています。

世界にいまだ1万4千発を超える核兵器がある中、意図的であれ偶発的であれ、核兵器が炸裂したあの日の広島の姿を再現させ、人々を苦難に陥れる可能性が高まっています。

被爆者の訴えは、核兵器の恐ろしさを熟知し、それを手にしたいという誘惑を断ち切るための警鐘です。年々被爆者の数が減少する中、その声に耳を傾けることが一層重要になっています。20歳だった被爆者は「核兵器が使われたなら、生あるもの全て死滅し、美しい地球は廃墟と化すでしょう。世界の指導者は被爆地に集い、その惨状に触れ、核兵器廃絶に向かう道筋だけでもつけてもらいたい。核廃絶ができるような万物の霊長たる人間であってほしい。」と訴え、命を大切にし、地球の破局を避けるため、為政者に対し「理性」と洞察力を持って核兵器廃絶に向かうよう求めています。

昨年、核兵器禁止条約の成立に貢献したICANがノーベル平和賞を受賞し、被爆者の思いが世界に広まりつつあります。その一方で、今世界では自国第一主義が台頭し、核兵器の近代化が進められるなど、各国間に東西冷戦期の緊張関係が再現しかねない状況にあります。

同じく20歳だった別の被爆者は訴えます。「あのような惨事が二度と世界に起こらないことを願う。過去の事だとして忘却や風化させてしまうことがあっては絶対にならない。人類の英知を傾けることで地球が平和に満ちた場所となることを切に願う。」人類は歴史を忘れ、あるいは直視することを止めたとき、再び重大な過ちを犯してしまいます。だからこそ私たちは「ヒロシマ」を「継続」して語り伝えなければなりません。核兵器の廃絶に向けた取組が、各国の為政者の「理性」に基づく行動によって「継続」するようにしなければなりません。

核抑止や核の傘という考え方は、核兵器の破壊力を誇示し、相手国に恐怖を与えることによって世界の秩序を維持しようとするものであり、長期にわたる世界の安全を保障するには、極めて不安定で危険極まりないものです。為政者は、このことを心に刻んだ上で、NPT(核不拡散条約)に義務づけられた核軍縮を誠実に履行し、さらに、核兵器禁止条約を核兵器のない世界への一里塚とするための取組を進めていただきたい。

私たち市民社会は、朝鮮半島の緊張緩和が今後も対話によって平和裏に進むことを心から希望しています。為政者が勇気を持って行動するために、市民社会は多様性を尊重しながら互いに信頼関係を醸成し、核兵器の廃絶を人類共通の価値観にしていかなければなりません。世界の7,600を超える都市で構成する平和首長会議は、そのための環境づくりに力を注ぎます。

日本政府には、核兵器禁止条約の発効に向けた流れの中で、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現するためにも、国際社会が核兵器のない世界の実現に向けた対話と協調を進めるよう、その役割を果たしていただきたい。また、平均年齢が82歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

本日、私たちは思いを新たに、原爆犠牲者の御霊に衷心より哀悼の誠を捧げ、被爆地長崎、そして世界の人々と共に、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

       平成30年(2018年)8月6日           広島市長 松井 一實



台風13号は首都圏直撃か

2018年08月06日 18時09分17秒 | 天気と自然災害


 台風13号は首都圏直撃の進路予想になった。【⇒http://www.jma.go.jp/jp/typh/1813.html
 西向きの進路が急に北上するようになっている。とても不思議な軌跡である。これもまた異常気象のなせるワザということなのだろうか。
 これに伴って天気予報も、7日から10日まで雨の予報となった。かなりの量の雨が予想される。

広島原爆の日

2018年08月06日 07時50分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日、広島原爆の日、朝から所用で出かけることになった。帰りは夕方になってしまう予定。

★原爆の日の洗面に顔浸けて      平畑静塔
★朝の膳に向ふ八月六日晴れ      原 朋沖


 第1句、原爆の日の多分朝、洗面の時間なのだろうか。洗面器に顔を浸けて、そのまま原爆の日の惨状に思いをはせているのか、或いは水に顔をつけることで当時の人びとが水を求めたという状況を顔に水を浸けたことで思い出したのか。あるいは黙祷に近い形の行為なのか。答えはない。しかし原爆の日、という季語の喚起するイメージと、洗面に顔を浸ける、という行為は別々のものではない。顔を水を浸ける行為は、原版の陽のイメージによってはじめて意味を持ったことになる。
 それだけ原爆の日、というのは日本の人びとにとっては思い体験であるし、そうなってほしいとも思われる。
 核兵器反対とか戦争反対とか声高に言わずとも、私たちの先行世代は論理ではなく、実感として、体験として「二度と戦争なんかごめんだ」と思っていたはずだ。だがしかし、戦後70数年、体験はすっかり風化してしまっている。語るに厖大なエネルギーを費やさなくてはいけない時代となっている。
 池田隼人、佐藤栄作という長期政権の首班は核武装を射程に入れていたことは公然の秘密と言われている。今の政権などはもっと踏み込んでいるのかもしれない。

 さらに第2句などを目にするといっそう、記録ないし公的な「事実」といったものの重さより以上に日常の何気ない中にこそ、記録や事実を超える重みがある、ということもまた不意に突きつけられることがある。
 8月6日、これは一般的なカレンダー上の日付ではなく、広島の原爆の日、という固有名詞化されたことばでもある。だが、この固有名詞に対して、あくまでも普通名詞である「朝の膳」が配される。広島原爆の日という具体的で凄惨な記録、事実が「朝の膳」によってよびおこされ、そして記憶をたどる縁となる。ことばとは不思議なものである。記憶と言葉との関係は一筋縄では解けない何かがある。この謎がある限り、言葉の喚起力は無限である。そして70年前の悲惨で凄惨な体験、アジアの人びとに与えた傷の深さは、さまざまなことばでよびおこされる。そのことばの力をまだまだ信じたいものである。