Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

36℃の暑さ

2018年08月26日 23時11分32秒 | 天気と自然災害
 本日の横浜の最高気温は13時頃の35.7℃。今年2番目の高温だった。ベランダに洗濯物を干したが、あっという間に乾いた。しかし取り込むとベランダから暑い直射日光が部屋に射するので、日が傾くまでそのまま放置。夕方に取り込んだ。
 日日中クーラーを27℃に設定して運転し続けた。しかし私の部屋は扇風機のみ。窓を開けるとつよい熱気が入りこんで熱風のような風が入ってくるので、開けることはできない。1階というのは風か入ってこない。5階建て、上の階に行くほくる。昔は3階に住んでいた。確かにその時の方が1階よりはやさして風が入ってきた。
 それでもさすがは暦の上では秋、日がかげるのが早い。16時半ころ横浜駅まで往復の散歩をした。太陽はすっかり低くなり、建物の影で歩道はずっと日かげがつづき、微風があった。アスファルトの熱気を含んだ風ではあるが、汗を飛ばしてくれたと思う。そしてゆっくりと歩いた。地下街の空調もあまり冷たくなくて助かった。喫茶店は寒いくらいなので遠慮。コンビニのイートインコーナーで水分補給と梅干で休憩。

 明日も35℃の予報になっている。

高齢者と冷房 Ⅱ

2018年08月26日 20時26分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日午前中に「高齢者と冷房」と題した一文を掲載した。大事なことを書き忘れた。私自信の経験である。
 私は高血圧気味で降圧剤を1日一回服用している。薬を忘れると140-92くらいになる。それほど高くはないが、明け方に上がるのが危険ということで薬の服用をすするられてもう10年になる。薬を服用して125-85位に抑えている。
 さてこの暑さの中、ウォーキングをしていると暑さがつらくなって時々コンビニやスーパーなどで涼むことがある。また横浜駅などの繁華街まで歩いた時は喫茶店で休息を取り、水分を補給する。むかしはそれが気持ちが良かったのだが、最近急に冷えるとくらくらしたり、軽い眩暈に襲われることがある。いつもの内科の医師に言わせるとそれが熱中症であるという。強いクーラーで急激な体温低下となり、血管が細くなり血圧が一気に上がり、眩暈などの症状をひき起こす、と指摘された。

 熱中症で倒れると体をひたすら冷やすことを教わる。しかし高齢者の場合や、血圧が高めの人にとっては、そんな単純なことではなさそうである。
 クーラーの効いたところに一時避難をする場合はすくなくとも徐々に体を慣らして、徐々に冷やさなくては危険ということになる。もっともそのような状態にならないよう、長時間にわたり高温下身を晒さないようにすることが大切である。しかしいざという時には急激な気温の低下は大きな負担を体に如いてしまいそうである。

 熱中症対策、こまめな対策や対応、救急措置が必要な気がする。

「ラス・メニーナス」の不思議

2018年08月26日 15時12分12秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 私はベラスケスの「ラス・メニーナス」を図版で見るたびにいくつかの疑問・違和感を持っていた。
1.人間の大人よりも高いと思われるカンヴァスがどうしてこんなに大きいのか、そして画家とカンヴァスの距離がこんなに離れているのか。
2.この大きなカンヴァスには誰が、あるいは何を描かれていたのか。
3.登場人物の中で比重は大きい方だが、背後の扉に右手をかけてこちらを見ている男は誰なのか。
4.左側が極端に歪んでいると思われる室内の遠近法の消失点はどこなのか。
5.作品全体の安定感の無さはどこに由来するのか。左右の遠近感がずれており、特に左の遠近が極端に圧縮されているのはなぜか。



 今回「ベラスケス」(岩波新書、大高保二郎)では、次のように記されていた。
「前景右から猛犬、そこに片足をかけた矮人の少年、その隣に矮人、正面にはマルガリータ王女、その左に水差しを差し出す侍女、王女の右側にも侍女。ともに高位の貴族出身の王妃付き女官であり。薄闇の中景では、左端に左端にベラスケス自身、その反対側に名前不詳の廷臣と、彼にささやく尼僧姿の王妃付き女官係、さらに奥の階段上に、王妃付き装飾頭で王宮配室係のホセ・ニエト・ベラスケスがカーテンの方に右手を伸ばしてたたずむ。この明るい開口部と対をなし、全画面のほぼ中央に位置する平面鏡は国王夫妻の姿。‥彼らのうち、何人かが視線を向け、ポーズをとるその相手は、絵の前に足ったいるはずの国王夫妻であり、その姿をわれわれは画中の背後の鑑の中に見いだす‥」
「登場人物のうち、‥(王女、画家、若い右側の侍女、矮人2人は)私たち鑑者の側の一点に注がれている。恭しい彼らのポーズ‥からもそれが国王と王妃である‥。他方この圧縮されたかのようなバロック的空間をルネサンス的な透視図法で把握すれば、その消失点は扉にたたずむ後景の男性の右腕の上あたりに帰着する。‥両者の地点は同一のものとは言えない。‥空間を深めるトリック的効果とともに(国王夫妻と王女)を二重肖像として象徴的に提示するために用いられたと考えるべきであろう。‥(国王夫婦)が他の登場人物とは別格の存在という封建的ヒエラルキーも垣間見える。」
 この記述によって私のいくつかの疑問は整理出来た。特に正面奥の男の人物は私はかなりの高官か、王族の類かと考えていたが、この部屋に明かりを入れるための存在でもあったようだ。しかも名前と職掌から画家ベラスケスの縁者で後任なのであろうか。
 そして私がこの作品から受け取る不安定さ、というのはここでは遠近図法の消失点と、登場人物の視線の先のずれに起因しているということになる。しかしもうひとつピンとこない。遠近法の消失点と登場人物の視点の先のズレガこんなにも不安定感をもたらすののだろうか。また王女という中心点と鏡の国王夫妻の中心点のふたつの存在、というのもピンとこない。もっとも私の感じる不安定感は普遍性をもつものか、否か、自信はない。
 「不朽の名画を読み解く」(ナツメ社)で宮下喜久朗は、「王宮の一室を正確に記録した画面には、画家の自画像とモデルの王女マルガリータ、中央の鑑の中に国王夫妻を描き込み、画家とモデル、現実と虚構などを巧みに交錯させている。‥この絵の前に立つと、自分がこの宮廷に迷い込んだような不思議な気分にさせられ‥。近づくと荒っぽい筆触が目立つが、離れて見るとそれが生き生きと躍動し、光の効果とともに、驚くほどの現実感を与える。マネをはじめとする印象派がベラスケスから多く学んだのはごく自然であった」と記載している。
 また「ベラスケスが大きなカンヴァスに向かってフェリペ4世夫妻の肖像を描いているときに、マルガリータ王女が侍女たち(ラス・メニーナス)を引き連れて遊びに来た様子である。あるいは、王女を描こうとしたときに、国王夫妻が様子を見に来たのかもしれない。」と記している。
 私の感じる不安定には言及されていない。

 もうひとつ私が最近教えてもらったことに、ベラスケスは絵筆で描くだけでなく、長い棒の先に絵筆を加え、遠くから描いたということであるる。それが独特の「荒っぽい」筆触を生んだことになっている。しかしこの作品では、作者とカンヴァスの距離は長い棒の先に絵筆をつけて描いたというには、距離がありすぎる。長い棒も画家の左手に沿って描かれているが、カンヴァスまでは届きそうもない。こごては動き回りながら作品を描いていたようになっているよいだ。
 着飾っている王女は結構気が強く、周りの侍女たちは翻弄されているようだ。おとなしくさせるためにかなり苦労しているように見える。それが「ラス・メニーナス」と通称で呼ばれる根拠でもあるようだ。この絵の主役が若い侍女たちのようでもある。この点からすると、画家が描いていたのは王女ということの方が、分があるようだ。そうするとカンヴァスと王女の位置関係、画家の位置がおかしい。王女を描くのにカンヴァスの面は、この絵の鑑賞者の方向を剝いていないといけない。

 ここまで考えたときに私の思い付きは以下のようである。
 まず採光の関係からカンヴァスの位置や画家の描く場所がこの作品のとおりにしなくてはいけなかったのではないか。また時々国王夫妻がこの部屋に様子を見に来ることを考えると、王の現れる出入口に画家が背を向けるのがはばかられ、また王女と国王夫婦が対面できるようにこの方向に王女を向けざるを得なかったのではないか。
 ということで、私は国王夫婦の現れる出入口の左側に大きな鏡を置いて、カンヴァスをこの作品の方向に置き、その鏡に映った王女を描いていたのではないか、と類推してみた。
 すると王女の顔は鏡の方向を向き、目だけが国王夫妻に向けられている意味も理解できる。そして何よりも鏡に映った国王夫妻を見る視線と、国王夫妻から見て右にある鏡を見る視線の微妙な時間差が生ずる。このふたつの視線の混在がこの絵の不安定感の基本的な原因ではないか、と思われる。
 画家は、この作品の時点の直前まで王女が映る鏡を見ており、国王の登場とともに視線を右に移したと言える。王女もしかり。
 しかしこの考えにも弱点がある。この鏡による像をもとに画家が描いているとすると、絵筆を持つ画家の左右は反転しなくてはいけなくなる。しかしこの絵では画家は右手に絵筆を持っている。
 さらに大きすぎるカンヴァスも謎のままである。
 なかなか謎は解けない。


高齢者と冷房

2018年08月26日 10時39分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今年は高温が続き、熱中症も多発、熱中症によって亡くなる高齢者も多い。そして多くの場合、「クーラーを動かしていなかったことが原因」のように指摘されている。予防の方法として「こまめな水分と塩分、適度な糖分の補給」、そして「クーラーの使用」が呼びかけられている。

 私の親もなのだが、高齢者の多くは手足がとても冷えている。猛暑のような日もとても手足が冷たい。本人は手袋が欲しい、といったり手をこすりあわせて温めようとしている。そのような高齢者に「クーラーを動かしましょう」という呼びかけが的を得ているのだろうかと、最近疑問に思っている。

 「クーラーが好みではない」、あるいは「電気代がもったいない」という言葉が高齢者から発せられる。マスコミでも流れている。これは本当はクーラーにあたると手足の冷えがひどくなる、という高齢者の本音が隠された表現なのではないだろうか。
 高齢者は一般に体温調節機能が衰えている、といわれる。認知機能が衰えた方は特に手足の冷えが進行しているように思うが、的ハズレだろうか。手足の冷えがひどい人には、急にクーラーを入れたり、扇風機の風に直接あたるのはつらいのではないかと思う。

 何が効果的なのか、医師でもない私には責任ある処置は想定できない。しかし東西、または南北の複数の窓を開けて空気の流れを確保する、扇風機の風に直接にはあたらずいったん壁に当てるようにする、換気扇なども動かす、などを私は勧めている。部屋の空気が滞ると、冷蔵庫の排熱、人の体温や吐く息、テレビの熱、料理の熱などで室内の気温はどんどん上がってしまう。これを部屋から排出することがまず大事である。

 扇風機でも室内の換気が確保できないとき、あるいは外気温が極端に高くなるときには、クーラーをつけるしかないが、扇風機との併用、室外機とは離れたところの窓などは少し開けておく、などの処置をした上で、クーラーの風が直接体に触れない場所にいること、あるいは長袖、手袋などの併用を進めている。
 もっといい方法があれば、教えてもらいたい、と思っている。

 さらに水分や塩分、当分の補給の方法も高齢者は難しい。多くの高齢者に1合の水を飲ませるのは難しい。それは冷たくとも熱くとも難しい。私は小梅や小振りの塩せんべい、または塩飴を口にしながら茶碗1杯の暖かいお茶を、テレビの番組ごとに飲むのがお薦めだと思っている。

 窓を開けるという習慣は、残念ながら今の都会の住宅事情ではなかなか難しい。団地やマンションでも、あるいは隣り同士が接するように立っている戸建て住宅ではなおさらである。こうう状況に適したアドバイスの在り方が必要なのではないだろうか。