私はベラスケスの「ラス・メニーナス」を図版で見るたびにいくつかの疑問・違和感を持っていた。
1.人間の大人よりも高いと思われるカンヴァスがどうしてこんなに大きいのか、そして画家とカンヴァスの距離がこんなに離れているのか。
2.この大きなカンヴァスには誰が、あるいは何を描かれていたのか。
3.登場人物の中で比重は大きい方だが、背後の扉に右手をかけてこちらを見ている男は誰なのか。
4.左側が極端に歪んでいると思われる室内の遠近法の消失点はどこなのか。
5.作品全体の安定感の無さはどこに由来するのか。左右の遠近感がずれており、特に左の遠近が極端に圧縮されているのはなぜか。
今回「ベラスケス」(岩波新書、大高保二郎)では、次のように記されていた。
「前景右から猛犬、そこに片足をかけた矮人の少年、その隣に矮人、正面にはマルガリータ王女、その左に水差しを差し出す侍女、王女の右側にも侍女。ともに高位の貴族出身の王妃付き女官であり。薄闇の中景では、左端に左端にベラスケス自身、その反対側に名前不詳の廷臣と、彼にささやく尼僧姿の王妃付き女官係、さらに奥の階段上に、王妃付き装飾頭で王宮配室係のホセ・ニエト・ベラスケスがカーテンの方に右手を伸ばしてたたずむ。この明るい開口部と対をなし、全画面のほぼ中央に位置する平面鏡は国王夫妻の姿。‥彼らのうち、何人かが視線を向け、ポーズをとるその相手は、絵の前に足ったいるはずの国王夫妻であり、その姿をわれわれは画中の背後の鑑の中に見いだす‥」
「登場人物のうち、‥(王女、画家、若い右側の侍女、矮人2人は)私たち鑑者の側の一点に注がれている。恭しい彼らのポーズ‥からもそれが国王と王妃である‥。他方この圧縮されたかのようなバロック的空間をルネサンス的な透視図法で把握すれば、その消失点は扉にたたずむ後景の男性の右腕の上あたりに帰着する。‥両者の地点は同一のものとは言えない。‥空間を深めるトリック的効果とともに(国王夫妻と王女)を二重肖像として象徴的に提示するために用いられたと考えるべきであろう。‥(国王夫婦)が他の登場人物とは別格の存在という封建的ヒエラルキーも垣間見える。」
この記述によって私のいくつかの疑問は整理出来た。特に正面奥の男の人物は私はかなりの高官か、王族の類かと考えていたが、この部屋に明かりを入れるための存在でもあったようだ。しかも名前と職掌から画家ベラスケスの縁者で後任なのであろうか。
そして私がこの作品から受け取る不安定さ、というのはここでは遠近図法の消失点と、登場人物の視線の先のずれに起因しているということになる。しかしもうひとつピンとこない。遠近法の消失点と登場人物の視点の先のズレガこんなにも不安定感をもたらすののだろうか。また王女という中心点と鏡の国王夫妻の中心点のふたつの存在、というのもピンとこない。もっとも私の感じる不安定感は普遍性をもつものか、否か、自信はない。
「不朽の名画を読み解く」(ナツメ社)で宮下喜久朗は、「王宮の一室を正確に記録した画面には、画家の自画像とモデルの王女マルガリータ、中央の鑑の中に国王夫妻を描き込み、画家とモデル、現実と虚構などを巧みに交錯させている。‥この絵の前に立つと、自分がこの宮廷に迷い込んだような不思議な気分にさせられ‥。近づくと荒っぽい筆触が目立つが、離れて見るとそれが生き生きと躍動し、光の効果とともに、驚くほどの現実感を与える。マネをはじめとする印象派がベラスケスから多く学んだのはごく自然であった」と記載している。
また「ベラスケスが大きなカンヴァスに向かってフェリペ4世夫妻の肖像を描いているときに、マルガリータ王女が侍女たち(ラス・メニーナス)を引き連れて遊びに来た様子である。あるいは、王女を描こうとしたときに、国王夫妻が様子を見に来たのかもしれない。」と記している。
私の感じる不安定には言及されていない。
もうひとつ私が最近教えてもらったことに、ベラスケスは絵筆で描くだけでなく、長い棒の先に絵筆を加え、遠くから描いたということであるる。それが独特の「荒っぽい」筆触を生んだことになっている。しかしこの作品では、作者とカンヴァスの距離は長い棒の先に絵筆をつけて描いたというには、距離がありすぎる。長い棒も画家の左手に沿って描かれているが、カンヴァスまでは届きそうもない。こごては動き回りながら作品を描いていたようになっているよいだ。
着飾っている王女は結構気が強く、周りの侍女たちは翻弄されているようだ。おとなしくさせるためにかなり苦労しているように見える。それが「ラス・メニーナス」と通称で呼ばれる根拠でもあるようだ。この絵の主役が若い侍女たちのようでもある。この点からすると、画家が描いていたのは王女ということの方が、分があるようだ。そうするとカンヴァスと王女の位置関係、画家の位置がおかしい。王女を描くのにカンヴァスの面は、この絵の鑑賞者の方向を剝いていないといけない。
ここまで考えたときに私の思い付きは以下のようである。
まず採光の関係からカンヴァスの位置や画家の描く場所がこの作品のとおりにしなくてはいけなかったのではないか。また時々国王夫妻がこの部屋に様子を見に来ることを考えると、王の現れる出入口に画家が背を向けるのがはばかられ、また王女と国王夫婦が対面できるようにこの方向に王女を向けざるを得なかったのではないか。
ということで、私は国王夫婦の現れる出入口の左側に大きな鏡を置いて、カンヴァスをこの作品の方向に置き、その鏡に映った王女を描いていたのではないか、と類推してみた。
すると王女の顔は鏡の方向を向き、目だけが国王夫妻に向けられている意味も理解できる。そして何よりも鏡に映った国王夫妻を見る視線と、国王夫妻から見て右にある鏡を見る視線の微妙な時間差が生ずる。このふたつの視線の混在がこの絵の不安定感の基本的な原因ではないか、と思われる。
画家は、この作品の時点の直前まで王女が映る鏡を見ており、国王の登場とともに視線を右に移したと言える。王女もしかり。
しかしこの考えにも弱点がある。この鏡による像をもとに画家が描いているとすると、絵筆を持つ画家の左右は反転しなくてはいけなくなる。しかしこの絵では画家は右手に絵筆を持っている。
さらに大きすぎるカンヴァスも謎のままである。
なかなか謎は解けない。