Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

肩甲骨のあたりの鈍痛

2018年08月17日 22時02分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日も肩甲骨のあたりの鈍痛がつらい。同じ姿勢でいるとつらくなる。寝ているときにつらくなり、起き上がろうとすると射たくなる。暫くは腰をかがめて歩く羽目になる。椅子には割っているときも鈍痛がひどくなり、立ち上がろうとするとさらに痛くなる。だいたい同じ姿勢で2時閑というところだろうか。
 痛いのはこの肩甲骨の付近に絞られてきている。筋肉が痛いのか、背骨そのものの一味なのか、よく分からない。
 病院から戻ったのが、14時過ぎ、それから3回ほど妻に背中を押してもらった。押してもらうと楽になる。
 かかるべきは整形外科なのか、内科なのか、わたしにはわからない。そのために総合病院に行ったのだけれども‥。役に立たなかった。月曜日まで何とかこの痛みが治まってほしい。そうでなければ、お盆休み明けのいつもの内科で市立病院なり、どこかの病院への紹介状を書いてもらうことになりそう。
 発熱はないので少しは楽であろうが、寄る寝ていて痛くなったとき、また妻を起こして背中を押してもらわねばならないのも申し訳ない。

 このために退職者会のニュースの編集作業も滞っている。先ほど「モネ それなかの100年」展の最初の感想の記事をアップした。その時に図録から作品を4つほどスキャナーで取り込んだのだが、これがなかなかつらかった。立ったり座ったりするので、痛みがひどくなった。

 明日はニュースの編集作業だけに絞ってみようと思う。


「モネ それからの100年」展 1

2018年08月17日 20時18分42秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 横浜美術館で開催している「モネ それからの100年」展を見てきた。展示は
第1章 新しい絵画へ       立ちあがる色彩と筆触
第2章 形なきものへの眼差し   光、大気、水
第3章 モネへのオマージュ    さまざまな「引用」のかたち
第4章 フレームを超えて     拡張するイメージと空間
という構成になっていた。それぞれの章ごとに、モネの作品とその影響を受けた現代の画家の作品が並んでいる。

 現代の画家がどのように影響を受けたのか、わたしにはよくわからないものも多かったが、色彩や構図から「なるほど」と直感的に理解できるものもあってそれを見るのは楽しい。解説の文章や帰宅後に図録を見てもその影響関係がわからないものは、いくら文章を読み込んでも分からない。というか言葉での説明を読めば読むほどわからなくなる。

   

 第1章の展示は、初期の作品「サン=シメオン農園前の道」(1864、日本テレビ放送網(株))から始まる。
 モネの初期の作品は空の雲が美しい。「サン=タドレスの断崖」(1857、松岡美術館)や「税関吏の小屋、荒れた海」(1882、日本テレビ放送網(株))などが並び、至福のひとときを過ごすことができた。17世紀のオランダ絵画と言われる一連の空が大きな比重を占める風景画などを見るようである。
 また最初に展示されている縦長の「サン=シメオン農園前の道」などは解説では指摘していなかったが、江戸末期の浮世絵の構図の影響なのだろうか。横長の作品よりは緊張感があり、嵐の後のような黒い雲とその切れ間の明るい色が効果的であると感じた。
 今回の展示だけで気がついたのが、風景画に添えられた一人ないし二人ほどの黒い人影。表情などは何もわからないのだが、1870年代以降この人影が風景画からなくなる。この人影はどうして画面から消えたのであろうか。人影があるとどうしても人そこに「物語」を読み込んでしまう。それを嫌ったのではないか、と考えてみた。色面と筆触で世界を描こうとした画家には「物語」は不要だったのだろうか。これは思い付きの仮設なので正しいか、否かはまったくわからない。
 この章では、影響を受けた画家として、ウィレム・デ・クーニング、ジョアン・ミッチェル、堂本尚郎、中西夏之、ルイ・カーヌ、岡崎乾二郎、湯浅克俊、丸山直文などの作品が並んでいる。私が知っているのは、クーニング、堂本尚郎の二人だけ。

   

 はじめて見たモネの「ヴァランジュヴィルの風景」(1882、ポーラ美術館)の印象が良かった。細い樹木の垂直な線と水平線、1本を除いて、水平線の高さで統一した樹木、これは浮世絵の影響による構図と解説してあった。浮世絵なら木を太く、その存在感を強調して描くがこの作品は逆に細く描くことで背景の海とその向こうの陸地が広々と見える。
 この作品の印象が良くて、縦の線が生かされたミッチェルの「湖」(1954、静岡県立美術館)もまた印象に残った。画面中央に横たわる様々な色彩を含んだ激しいタッチの塊は、その筆致の激しさにもかかわらず、モネの晩年の森や木々を描いた作品に共通するものを感じ取った。
 その他では小西夏之、ルイ・カーヌ、丸山直文などに影響の痕跡を見ることができたと思えた。

   

熱中症?

2018年08月17日 15時10分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日区役所の傍にある総合病院へ行ってきた。初診の内科は空いており、3人目であった。3日ほど前からある胸から太ももまでのにぶい筋肉痛、昨晩眠れないほどの肩甲骨付近の痛み、37.2℃の発熱などを伝えた。医師からは熱中症ないし夏風邪が原因と思われる、という診断。
 点滴と血液検査、風薬の処方をすると告げられた。診察が終わったのが11時30少し前。ところが13時間際になっても点滴、採血の呼び出しが一向にない。私の前の患者も点滴をしていたが、12時にはもう出てきていた。お腹もすくし、椅子に座っていると再び肩甲骨の付近の痛みが出始めた。受付で聞くと、「これから用意をします」とのこと、どうやらファイルがそのまま置き去りにされていたらしい。ムッとしたので、「他の病院に行きます」といって、採血・点滴・風邪薬の処方は拒否をして、そのまま診療代だけを支払って帰ってきた。
 急性の症状以外では、点滴はもともと気休めに近い。血液検査は月曜日にでも小さいながらいつもの内科で採血をしてもらうつもりになって帰宅した。総合病院も時には必要だが、こんな状態が起きるならば、通い慣れた個人医院の方がまだ信用できる。
 行き帰りともタクシーを使用したので交通費は往復2360円もかかってしまった。肩甲骨のあたりの痛みはまだ少し残っている。横になっても、座っていても長い時間同じ姿勢を保っているのがつらい。
 これから夕方までは寝ていようと思う。



眠れない

2018年08月17日 01時11分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
熱は36.7℃と下がった。しかし眠れない。理由はふたつ。

夕方から寝たこと。そして、背中の筋肉の鈍痛。この背筋の鈍痛は何が原因か、眠れずにあれこれ考えてしまうと、悪い方にばかり思考が傾いてしまう。

目には悪いが、スマホでも見る方が精神的にはよい。