Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

忘れ物

2021年03月27日 22時17分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評



 明日図書館に本(司馬江漢「東海道五十三次画帖 広重『五十三次』には元絵があった」)を返しに行く予定。本当は本日の予定だったが、出がけに返す本をリュックに入れ忘れていた。
 花見をしながら、図書館まで歩いて10分ほどのところでコーヒータイムを取った。そこで念のためリュックを点検したら、本が入っていなかった。点検をせずに、そのまま図書館に行けば、もっとがっかりしていたと思う。
 情けないこと甚だしい。家に戻ってからもう一度出かけることもできたが、その気力もなくなっていた。

 明日は午後からは雨が降る確率が高い。午前中に図書館まで出かける必要がある。

 本日は早寝に限る。本の返却期限は明日まで。日延べができない。


花・桜・さくら

2021年03月27日 20時50分22秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★死ねばゐず北へ北へと桜咲き      三橋敏雄
★東京を蛇の目に走るさくらどき     澁谷 道
★うしろ手を組んで桜を見る女      京極杞陽
★花たのしいよいよ晩年かもしれぬ    星野麥丘人

 第1句、かの戦争で戦死した友人を念頭にした句であるとのこと。友は南方で亡くなったのか。そして戦死のほうが自分にも切実なものとして伝わってくるのであろうか。死が北上して本土の自分にも迫ってくる。
 第2句、以前山の手線を回りながら桜を愛でることが話題になったことがある。それよりもさらに以前にもこのような句があったと聞いてびっくりしたことがある。不思議なことに昔は駅や沿線に桜の木が植えられていた記憶がある。
 第3句、桜を眺める女性の姿も大きく変わっている。なにも後ろに男の部下を従えているわけではなく、一人で桜を眺めながら歩く姿にも時代を感じているのであろう。世代論というのは好きではないが、確かに戦前の時代を見てきた人には驚きの時代なのかもしれない。
 以前このブログにも記したが、妻は毎年「来年は見れないかもしれないから‥」という思いで桜を楽しむのだそうである。そんなに歳を取ったわけではないのに、昔は笑って聞き流していた。だが、この数年この言葉の意味がとても切実に思えるようになってきた。
 妻も私も死期をさとるほどに歳を食ったわけではない。また病弱になったわけでもない。どちらかというと元気いっぱいである。
 しかし、あと半年もしないうちに70歳となる自分を顧みると、切実に第4句が迫ってくることがある。
 


本日も花見

2021年03月27日 16時34分40秒 | 山行・旅行・散策

 気持ちのいい陽気に誘われて、親を伴い妻と3人で、歩いて20分ほどの公園のサクラを再度見に行った。多くの家族連れでベンチもほとんど埋まり、シート持参の家族連れも。
 さすがにお酒持参の宴会はなかった。
 鳩にとっては食事のおこぼれがもらえる恰好の日和。お茶だけをのむ私たちの周りにも集まってきたが、未練たっぷりの様子。人に媚びるのも生き抜く知恵だろうが、悲しいものである。
 人に媚びることがない蝶の飛ぶ軌跡は自由である。