退職者会の30周年記念誌の校正刷りのチェックは9時から14時までかかって何とか終了。訂正依頼個所は付箋を着けて、郵送した。データは別途電子メールにて送信。
日差しのある心地よい天気のもと、1万3千歩ほどのウォーキング。途中の喫茶店で一服して、「洋画家の美術史」を読了。つづけて「ベートーヴェン――巨匠への道」を読み始めた。夕刻からはプリンターのインクの値段を調べに横浜駅の家電量販店へ。そののちは有隣堂で本を眺めてから、再び歩いて帰宅。本日は心地よい汗をかくことができた。
明日からは退職者会の作業からは少し離れることができる。気分的にゆとりが生じている。明日から来週いっぱいは読書タイム・音楽鑑賞タイムを充実させたいものである。
最後に「須田剋太」、「三岸節子」、および「おわりに」を読んで、読了。
須田剋太という画家については初めて名前と簡単な経歴と掲載されている4点の作品を知った。私の好みの作品である。具象と抽象の狭間に位置するような、行き来してしまうような作品が私は好みである。その点でとても惹かれた。
「週刊朝日の「街道をゆく」の挿絵を担当し始めたのは、1971年、65歳になってからだ。20代から30代にかけては具象絵画のみだが、40代を過ぎて作風は抽象化し、その後再び具象に回帰している。‥須田剋太の最高傑作は、この抽象画だと思っている。」
作品を見る眼はやはり鋭いと思う。著者が所有しているという「抽象」(1971、水墨画)は、和紙に描かれていると思われる。印刷もいいが、実際に和紙の風合いも感じながら眺めたい作品だと思った。同時にサインと描かれたものが、不思議な一体感を感じさせてくれる。
「花」(1980、油彩)は具象の範疇の作品なのだろうが、抽象的な雰囲気を味わいたい。
三岸好太郎の作品は、いくつも見ているが、三岸節子の作品はあまり見ていないが、赤い花を中心に据えて周囲を黒く縁取りした絵の記憶がある。掲載されている「赤い花」(制作年未詳、リトグラフ)は私の記憶の絵と似ているが、黒い縁取りの印象が違っている。しかしこれも直に見たい作品である。赤を著者は気に入っているらしい。私の印刷を通しての感想では、赤い花の右下の黒に惹きつけられた。私の記憶にある作品も赤い花の周囲の黒がよかった。
「造形的には、ジョルジュ・ブラックから大きな影響を受けている。特にブラックの形を自由に開放したキュビスム、強い感情を表現したフォーヴィスム的感覚を大胆に取り入れている。」
この指摘にある「ジョルジュ・ブラックの影響」というのに納得した。
「西洋人が「木を見る」のに対して、東洋人は「森を見る」といわれるように、日本の画家たちはどこか見ている視点が違うような気がする。アジア的な土着的感性、アニミズム、不完全さ、余白の美のようなものがどの作品からも薄っすらと感じられるのが興味深い。近代絵画は、西洋と東洋の間で揺れ動きながら、試行錯誤を繰り返した実験の記憶であり、飽くなき探求心の結晶」(「おわりに」から)。
私は、この論は1950年代まではある程度理解できる時代把握だと思う。近代という尺度を持ち込めば、「進んだ西洋、遅れた日本」という側面は、幕末・明治維新から戦後まで一貫した日本の社会を言い当てている。「西洋人は「木を見る」、東洋人は「森を見る」」という一把ひとからげの断定はとうてい肯定できないが、西洋と東洋の間を揺れ続けた日本の近代の絵画の歴史はその通りである。
私は、1990年ごろを画期に、そのようなことは若い芸術家たちはもう拘泥せずに自由に飛翔している、と思った、西洋と東洋という枠組みなどもはや不要なのかと思っていた。しかし安倍政権以降の湧いてくる政権擁護の言説を聞くと、日本の封建遺制の根強さに驚くと同時に恐ろしさを感じている。