温かくよく晴れていたので、リュックに入れてあった小さな傘をわざわざ玄関においてから出かけた。神奈川大学のキャンパスを経由して、1時間あまり歩いていつもの喫茶店の店外のテーブル席に座って読書タイム。
大学のキャンパスの中を歩いているとき、大学の職員とすれ違ったが、特に不審な目で見られることもなく、逆に笑顔であいさつされ、こちらが恐縮してしまった。住宅地の中のキャンパスなので広くはないが、それでも構内にはベンチや手入れの行き届いたプランターの花が咲いており、ベンチで一服させてもらうことが多い。締め出されないのがありがたい。
喫茶店では、急に暗くなり、冷たい北風が吹き出した。さらに雨が降り始めてびっくり。店内はそれなりの人がいたので、外の席でウィンドブレーカーを羽織って雨が上がるのを待った。雷が鳴らずにほっとしたものの、なかなか明るくならなかった。何とか雨が上がるのを見極めて、再びウォーキングを再開した。
夜になった今も、冷たい風が吹き続けている。空は晴れて、小望月の月が空に美しい。明日は晴れるらしいが、日曜日はふたたび夕方から降り始め、月曜まで降るとの予報になっている。
ずっとロックアウトになっていた神奈川大学の六角橋キャンパスが通り抜けられるようになっていた。しかしまだ春休みということなのであろう、人影はまばら。生協と大学の職員が数人行きかっているだけで、私などがカメラをもって歩いていると、気が引けてしまうほど人は少ない。
それでも大学というのは、人が自由に歩けて大学らしくなるものである。
4月以降、新学期が正常に始まれば、学生の賑わいももどることを期待したいものである。
サクラなど、春の恒例の花々も人のいないキャンパスでは映えない。また学生向けの掲示板も、学生が行き交って初めて風景として生きてくる。学生がいなければ単なる紙屑でしかない、と思う。
生協も4月からは、時短営業を続けるらしいが、それでもシャッターを上げて営業を再開するらしい。私としてはありがたい処置になる。
COVID-19は一向に沈静化せず、むしろ世界的に変異株が主流に浮上しようとしている。オリンピック開催の流れにマスコミも全国知事会も異論をさしはさめず、オリンピック優先としか思えない緊急事態解除となった。
オリンピックは7月23日とわずか4か月後の予定である。だが、入場料収入だけでなく、経済波及効果を期待した海外からの観客を遮断せざるを得なくなった。海外の観客だけを遮断するのはオリンピックの目的・理念からすれば、おかしい。しかもCOVID-19の蔓延防止の観点からは日本の観客も遮断しなければならなくなる。無観客としても選手・コーチ・関係者・マスコミだけで7万人という入国者が集まると言われている。
観客を遮断したオリンピックならば、以前から私が疑問を呈してきたように「東京でなければならない」意義は根拠すらなくなる。
当初の呼び込みスローガンなんぞはまったく無視した膨大な予算を使い、未回収分を税金で補填しようとはふざけた話である。すでにその補填の在り方をめぐって、国・都・関係自治体間での綱引きが始まっていると報道されている。聖火リレーに伴う自治体の負担も大きい。
COVID-19は、第4波へ患者数が拡大傾向だが、政府はオリンピック聖火リレーが開始される3月25日までに、緊急事態を解除したいという願望を優先した。
高齢者ばかりか多くの住民も家に籠もり、報道陣や動員者が目立つ沿道。聖火リレーという「お祭り」は人の熱気と、無軌道で無秩序・アナーキーな参加意欲が醸し出されなければ、祭りの意味はない。
もともと人間の社会が成り立って初めてオリンピックやスポーツ界が成り立つ。「アスリートファースト」ではなく「社会ファースト」が政権や主催者の本来の姿勢でなければならない。
「オリンピック」を社会の活性化の起爆剤、経済と政権浮揚の道具にするという思想そのものが私には違和感満載である。「国家」の論理が先に立てば、それは「民権よりも国権」といういつか来た道である。
COVID-19というコロナ禍に悩む庶民はIOCのトップにも、日本のスポーツ界を牛耳る人間にも、日本の政権の眼にも入っていない。前代未聞の無観客オリンピック開催は、愚行として歴史に残るのではないか。
横浜港に寄港したクルーズ船という名の「カジノ」船への対応の誤りばかりが目立ってから一年を過ぎ、我々の生活から消えたマスク・消毒薬がようやく手に入るようになったものの、医療体制とそれを支える人材はひっ迫したままである。
医療器材も薬もマスクも、ワクチンも外国頼みが続いている。日本の産業構造の脆弱性が一挙に暴露された。ワクチンすら、中国製という名前だけで忌避する政権の思惑で、接種の日程が決まっていない。本来、ワクチンに複数の選択があってもおかしくない。
効率性ばかりを追求し、応用力の効かない日本の生産体制は、いかにもろいものであったか。生産ラインをいち早く医療用品に変えた諸外国の企業も報道された。COVID-19というコロナ禍で証明されてしまった、というのが私の直観である。
さらにみっともないのは、社会の公平・公正のため、という観点を喪失した官僚の体質である。これほどまでに腐敗と無責任体質が進行しているとは誰しもが驚いたのではないか。政権を構成する政治家が、金と税金の私物化に奔走するだけでなく、それを支える側に堕した官僚組織もまた、危機の元凶であった。感染症のパンデミックは、政権と産業構造、行政の組織トップの病巣をも炙り出した。
志を失っていない多くの官僚といわれる人が、今の政権からは遠ざけられているのであろうことを私は信じたい。