Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

司馬江漢と歌川広重の「五十三次」 その3

2021年03月19日 22時16分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 いつものように上の大きなものが先行した司馬江漢の「東海道五十三次画帖」、下の小さいものが歌川広重の「東海道五十三次」。図柄はほとんど同じである。広重は江漢のものを利用したということらしい。
 司馬江漢と歌川広重の「五十三次」を比べながら、何が違うのか、いろいろ悩んでいた。江漢は構図の上では西洋風の遠近法と、ものの影を描いて、日本の風景を描こうとしている。広々とした空間が持ち味である。
 広重はどのように換骨奪胎したのか。ようやく先ほど気が付いたことがある。
 江漢は構図がおとなしく、広重は構図を大胆にデフォルメしている。これは誰でもが気が付くことである。
 その構図をどのような観点から大胆に変えたのか、ということを考えていた。
 ひとつは人物や馬などを増やしたり、間隔を狭くして密集させたりしている。それに合わせて背景の近景を人物に近づけて、遠景はさらに遠くに見えるようにして遠近を強調している。
 このことで人物に動きができて、画面に躍動感が生じている。

 しかしこれだけではない。一番重要だと感じたのは、人物が被っている編み笠や背負子の色であった。江漢の編み笠などはくすんだ暗い黄色である。広重の描く人物の編み笠や背負子はあざやかな黄色である。さらに人物の着ている服の色、特に藍色を目立たせるために地面や背景の色を薄くして、人物が浮き出てくるように描いている。
 特に編み笠の色が秀逸である。どの作品にも共通する楕円状の編み笠が印象的である。
 広重は遠近感の強調と、色彩の対比を強めにして、雨や風や雪を利用して人物に動きを出し、それによって画面全体に物語性を付与している。雨の中を急ぐ人物は駆け足に思え、かごを担いだ人物の掛け声が聞こえ、汗までがにおい、雪の中を凍えそうになりながら、道を急いでいる。先を急ぐのか、くつろぐのか、それもきちんと描き分けている。

 本日眺めていた成果は、このことに尽きる。

 


コブシは散り始めた

2021年03月19日 21時46分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 薄い木綿のコートを羽織って出かけたたところ、陽射しのある場所では汗ばむほどの温かさであった。しかし日陰に入ると風が冷たく感じた。
 組合の会館からの帰りに久しぶりに関内駅の傍をとおり、旧市庁舎の近くの喫茶店に入った。窓越しの明るい陽射しに当たりながら、読書タイム。頭のてっぺんから芽の出るように温かさになり、うつらうつらとしていたので、ほとんど読み進められなかった。「インテルメッツォ ベートーヴェンの愛 婚約説をめぐって」を読んだのみ。

 1時間ほどで店を出て、桜木町まで歩いた。関内駅から桜木町駅までは、ビルの間の日当たりの悪い道で、風も冷たかった。人通りは市庁舎があったころとあまり変わらずに多くの人が歩いていた。
 横浜駅も中央通路は多くの乗降客と通り抜ける人でごった返していた。それを避けるように地上を遠回りで有隣堂まで。店頭にならぶ本をチェックしたのち、歩いて帰宅。

 街路樹やビルの合間の小さな空間ではコブシがそろそろ終わりを迎えていた。またカワヅザクラはもう花はついておらず、葉桜になっていた。代わりにヒカンザクラが咲き始めている。横浜でもソメイヨシノが開花としたとのことであるが、私はまだ開花したものを見ていない。

 


久しぶりに作業のない日

2021年03月19日 12時53分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日も穏やかな日和。作業は本日はなし。退職者会のフォルダを開くこともなく、ベッドの上で昨日からの「ベートーヴェン」を1時間ほど読んでいた。昼前に30分ほどうつらうつらしていたようだが、読んだ内容は頭に残っている。
 「第1話 べートーヴェン以前のボン」「第2話 ボンの人々」「第3話 青春のボン」までを読了。
 ベートーヴェンの伝記とは直接は関係はないが、第1話の冒頭、ローマ帝国時代と中世から近世のかけてのボンという都市の成り立ちについてのわずか6ページの記述は恥ずかしながら基本的な知識の勉強になった。

 妻は所用があって出かけるとのこと。私もこれから庁内メールを1通出すために組合の会館へ出かける。途中でいつものとおりの時間に一服予定。