本日はジョン・セバスティアン・バッハに戻って、ブランデンブルグ協奏曲全6曲を聴いている。バウムガルトナー指揮のルツェルン弦楽合奏団。1978年の録音である。ヴァイオリンがヨゼフ・スークということで購入したものである。解説の付記に1991年5月の日付が付いているので、それ以降に購入したものであるが、いつ購入したかは覚えていない。
今は覚えていないが、中学生の時に初めてクラシックのLPを自分で購入したのがこの曲であった。第3番と第5番を中心に幾度も聴いた。第5番の第1楽章のフルートの転がるような早いパッセージが特に気に入っていた。そのレコードは誰の演奏だったか、とんと覚えていない。当時は演奏者にはまるで関心がなかった。
このCDを聴くのも久しぶりである。今はどの曲も気に入っている。
ソメイヨシノの開花も近くなり、時期がすっかり遅くなってしまったが、本日パソコンを置いてある私の部屋と玄関の境に薄いカーテンをつけた。以前は開閉できる扉が付いていたけれども、開け閉めが面倒なので取り払って押し入れにしまったままである。
もっと早く布地1枚を画鋲で止めて置けばよかった。それだけで玄関からの冷たい風を防ぐことができる。ストーブを消すとすぐな冷えてしまう部屋の改善につながる。
しかしこの私のパソコンのある部屋は、真夏もまた地獄である。リビングルームにあるクーラーの冷気は遮断されてこの部屋には届かない。夏になれば少しでも風通しを良くするために、扉は邪魔であった。今度はカーテンなので、すぐに取り外せる。
薄い単色の布地は、1mで495円であった。それを2m。物置に放置してあったつっかえ棒を利用した。糸で縫わずに両面テープを活用。わずか30分ほどで簡易カーテンが出来上がった。
今回の冬はもう終わってしまったが、今年の暮れから存在感を示してくれるとおもう。
本日は東京大空襲の日。76年前の1945年3月10日、アメリカのB29などにより超低高度・夜間・焼夷弾攻撃が東京に行われ、市民の死者約8万-10万、負傷4万-11万名ともいわれる大きな被害がもたらされた。
戦争というものは、多くの民間人が必ず巻き込まれる。日中戦争での日本軍による犯罪は、中国だけでなく周辺の国々の人々へ多大な被害をもたらした。日米開戦にまつわる宣戦布告なき真珠湾攻撃をはじめアジア諸国への加害、そして世界大戦末期のアメリカによる都市空襲や原爆投下、沖縄での住民殺戮、ソビエトロシアの侵攻と住民殺戮さらにシベリア抑留、そして沖縄では日本軍が沖縄の住民殺害に手を染めた。米軍は沖縄で戦後も執拗に土地強奪と住民抑圧を繰り返した。
同時に敗戦が不可避にもかかわらず戦争の終結を受け入れずに被害を拡大し続けた当時の日本政府と為政者の戦争責任も重大である。またその戦争責任追及を回避する戦後の日本政府も同罪である。
末端の兵隊は徴兵された国民、徴兵されるまでは平穏な市民生活を送っていた民間の人間であった。
戦争を仕掛けた職業軍人とそれを追認した政治家、戦争犯罪を犯した人間、それを強要した人間、戦争遂行の「国策」に追随した人間、それらの人々の責任追及をネグレクトする現代日本の政治家、すべてが指弾されなくてはならないはずである。それがなされて初めて戦争のない状況を準備する前提が整う。
戦争の加害と被害は常に表裏一体である。私はそれを常に忘れてはならないと思う。