Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

破局への道

2021年03月25日 22時22分43秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 明日は気温は20℃を超えるらしい。雨も東の海上に去る見込み。サクラはまだまだ蕾がたくさん残っているので、開花が進むと同時に、散るものも多くなりそう。ソメイヨシノも一気に明るく照るようになるかもしれない。
 それにともない、花粉症の症状が多くの人を苦しめそうである。

 COVID-19の陰に隠れたかのようにインフルエンザはほとんど患者が出なかったといわれる。外出自粛、あるいはマスク・うがい・3蜜回避が功を奏しているのか。それともCOVID-19に圧倒されて逼塞しているのだろうか。
 COVID-19が抑え込まれたとき、果たして来年以降インフルエンザウィルスはどのような振る舞いをするのか、不安がふと私の頭を過った。

 そんなことよりもまずは、ワクチンによるCOVID-19の抑え込みが国民にとっては最重要課題であろう。変異ウィルス対応のワクチン開発は、喫緊の課題であるが、まずは現在有効とされるワクチンの接種の率を上げるしか、対策はない。
 日本ばかりが金にものを言わせて他国に優先させるわけにはいかないのも事実だが、一方で日本が遅れていることも事実である。しかも賛否は別として、オリンピック開催都市東京を抱える国である。当初の威勢のいいスケジュールとは裏腹に、その後のスケジュールは進展しないで止まったままである。
 不安を構えたまま、第4波が来そうな様相である。

 日本はCOVID-19に負けるのではなく、政治の劣化、経済の縮小によって「先進国」からまっしぐらに転げ落ちている。しかも人を大切にしない国として。ほとんどの国民はそれを感じていない、という悲劇の国ではないのか。自己認識の誤りが、常に破局への道である。
 


3.11で思い出したこと

2021年03月25日 20時24分48秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 3.11の東日本大震災の時点で思い出したことがもう一つある。

 2011年の前年の、奇しくも3月10日前後に女川町を訪れた時のことである。友人に送ったメールを再構成してみた。

 震災の2年前に義父がなくなり、東松島市内の活用できない幽霊のような土地(仙石線・陸前大塚駅の近傍)の相続登記のために、石巻の日和山にある法務局を訪れた。大震災の前年にあたる2010年3月10日前後であった。このブログの当時の記事で少しだけ触れている。
 朝早く仙台を出て、石巻の法務局で登記手続きを済ませ、その足で、石巻線の終着駅の女川駅を訪れた。

 その十日ほど前の2月27日に起きたチリ地震の津波が翌28日に太平洋岸を襲い、宮城県でも1mを超える津波が記録された。女川でも港から数百メートルまで冠水し、ホタテ・カキなどの養殖棚が大きな被害を受けていた。しかし私が訪れた時は、見た目にはすでにその痕跡はわからなかった。
 港から100mくらいの真新しい3階建てのビルの1階で営業していた小さなすし店で、遅い昼食を摂った。ホヤがどうしても食べられない私は、ホタテ・生ガキそしてナマコの酢の物と、石巻市にある平孝酒造の有名な日高見を2合飲んだ。お店の人の話では、2月の津波で店は50センチほど海水が入ったということを聞いた。

 女川駅前に戻ると、駅前の足湯で中学生たちがお弁当を食べながら談笑していた。多分春休み間近かで、授業は午前中だったのだろう。あるいはおやつ代わりのパンであったろうか。私も電車が来るまでの10分ほどの短時間だったが、足を浸した。口に含むととても塩分の強い温泉だったと記憶している。

 ちょうどそのころ地下では一年後に破壊の進む断層が、歪みで悲鳴を上げていたのではないだろうか。
 あの時のお店は鉄筋コンクリートとはいえ、津波の被害でひとたまりもなかったのではないか。私より20歳以上は若い主人と女将、そして今の私くらいの親父さんもいた。どうされているだろうか。
 また足湯を愉しんでいた中学生たちも多くは犠牲になったのかと思うと、切なくなる。

 時間がないので、港と駅前の繁華街を一蹴しただけの訪問であったが、いまも駅前の風景と、お店のことが鮮明に思い出される。

 機会があれば、ぜひとも今の女川を見に行きたいと思う。復興のありようで、全国的にも注目された自治体である。


春の雨

2021年03月25日 18時11分09秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 午後出かけようとしたら、ぽつりぽつりと微かに降ってきた。急いで家にもどり折り畳みの傘を手にして、再度外出。
 しかし団地のある小高い丘を降りたところでは雨は降っていなかった。横浜駅のそばの喫茶店にいたら再び雨が降り始て路面が濡れてきた。
 レインアイヨコハマによると最大で時間雨量5mmの雨と表記されているが、実感としては1mm未満の雨のように感じた。
 春の雨、を歳時記で紐解くと、「しっとりと趣ある雨」のような説明がある。すると本降りの雨のことではなく、本日の関東地方の雨のように傘が必要ないほどの雨、しかも南寄りの温かい気温のもとでの雨ということになるのであろうか。
 では本降りで、冷たい風をともなう雨はなんというのか、と天の邪鬼である私は突っ込みたくなる。

★春雨や小磯の小貝濡るゝほど      与謝蕪村
★春雨のあがるともなき明るさに     星野立子
★捨鍬の次第に触れて春の雨       山口青邨
★春雨を髪に含みて人と逢う       岸田今日子
★もつれつゝとけつゝ春の雨の糸     鈴木花蓑

 どの句も蕪村の句の春のイメージがそのまま受け継がれている。もしも蕪村の句が、春の雨の印象をはじめに作ったのならば、270年もの間そのイメージを変えることのなかった偉大な芸術家である。真相は浅学の私にはわからないが‥。
 蕪村の句は焦点がきちっと定まり、そして温かい句である。そして後代の4つの句とも、蕪村の句のイメージを踏襲している。私はことのほか最後の句に惹かれる。
 実は中学生の時、千mからの雨粒が人の顔に当たるときにはどうして痛くもないのか、と不思議に感じた。摩擦ということで説明できる、といわれて少しだけ納得したが、計算式でどうなるのか、深くは追及しなかった。世の中は、わかったようでわからないまま、そんなことばかりである。
 不思議なもので、そのまま大学は物理学科に合格した。私はとんでもない物理学徒であった。そしていまだによくわかっていない。大気の流れに沿って高度を上げたり下げたりしながら、地上まで落ちてくる。一直線に落ちてくるわけではない、ここまではわかったつもりになれる。真相はいかに‥。
 今度、物理の先生になった同期の友人に聞いてみたい。本当は短なことの説明が一番難しいのである。