Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日からの読む本を物色中

2021年03月16日 23時22分33秒 | 読書

 「眼の神殿」を読み終わったので、次の本は何にするか、物色中。現在は「洋画家の美術史」と「銀河の光 修羅の闇」を並行して読んでいる。前者は半分読み終わったが、私の好きな坂本繁二郎と佐伯祐三を再度読み直している。これより後半の第3章と第4章。
 「銀河の光 修羅の闇」は扱っている西川徹郎の俳句自体が難解なので、こちらは急いで読んでも理解は難しい。時間をかけたい。

 目についた本は「ベートーヴェン――巨匠への道」(門馬直美、講談社学術文庫)。1987年の「ザ・ベートーヴェン」の文庫化で昨年8月の刊行。多分正月にふと思いついて購入した。 あるいは「バロック音楽 豊かなる生のドラム」(磯山雅、ちくま学芸文庫)にするか、思案中。後者も同じく正月に購入した。こちらは1989年の本の文庫化。
 両者とも名前は聞いているが、著作は読んだことがない。後者に少し惹かれているが‥。明日の朝の気分次第。またまた優柔不断‥。


「眼の神殿」読了

2021年03月16日 22時28分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   


「明治22年2月11日、憲法発布の式典が行われた。‥『大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス』この一条にはじまる大日本帝国憲法の基本理念は、‥皇室を国政の「機軸」であると同時に、国民の精神的な「機軸」として位置づけようとものであった。‥同じ年に帝国博物館が設置され、雑誌「国華」が創刊され、その翌年には、帝室技芸員制度が制裁され、岡倉天心による日本美術史の講義が行われた。‥美術を国民国家の「機軸」に位置づけることにほかならず、美術は、こうして日本のアイデンティティと重ね合わされることとなったのだ。美術は‥近代日本国家の精神的「機軸」として、いわば国家の神殿のごときものとなったのである。」(第3章 5.美術という神殿――「美術」をめぐる諸制度と国家の機軸)

「「反芸術」とはいったい何か‥それは視覚芸術としての美術からの逸脱である。絵画、彫刻というワリツケからの横溢であり、非美術的や物件や物質の反乱であり、確固たる実体性をもつ作品の解体であり、作品の環境化ないし空間化であり、‥美術と非美術の境を無化する動きにほかならなかった。このような傾向を、美術という制度を体現するものである美術館が許容するはずがない。美術館は、‥当然締め出しにかかる。‥こうして、反芸術は美術館から日常の街へと溢れ出すことになったのだった。」(終章 美術の終焉と再生――日本語「美術」の現実)


日程調整に四苦八苦

2021年03月16日 20時55分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 風は強かったが、温かくいい日和。

 午前中11時まで、昨日の退職者会の会議のまとめを行った。あわせて、新たな日程に沿って、日程を調整。7月の退職者会ニュースまでの日程をずいぶんと変更しなければならなくなってしまった。調整に四苦八苦しているうちに病院に行く時間になってしまった。
 あわてていつものかかりつけ医で診察、降圧剤を処方してもらった。日医工の薬ではなかったので、新しい薬とはならなかった。

 午後は1時間ほどのウォーキングと喫茶店での一服。「眼の神殿」を読む。終章を半分ほど残して、ほぼ読み終わった。


地震と何十年ぶりの夢

2021年03月16日 18時16分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明け方の茨城県南部を震源とする地震では被害は出ていないようで、ホッとしている。

 昨晩は23時過ぎには就寝。思った通り眠りは浅く、1時過ぎまで目はつぶっていたものの眠りには落ちなかった。1時過ぎにいったんベッドを離れて、1時間ほどリビングルームでボーッとしながら熱いお茶を2杯ほど飲んだ。ウーロン茶がことのほかおいしく感じた。新聞を眺めたものの、何を読んでいるのか頭には入らない。疲れている実感があり、欠伸が幾度も出るのだが、眠いと感じなかった。
 2時過ぎにもう一度布団に潜り込んで、長い時間暗い空間を眺めていた。ようやく眠ることができたようだった。しかし5時になって茨城県南部で震度4の地震。横浜では震度3を記録し、またいったん目が覚めてしまった。
 妻がつけたテレビを眺めたり、スマホの地震情報を確かめているうちに、こんどは「あるところでは震度7だった」という声がどこからか聞こえた。慌ててスマホを見たがそのようなメールは着信していなかった。妻に言わせると寝言のように「震度7の地点があったんだってね」としゃべっていたらしい。
 それでまた目が覚めてしまった。夢を見ていたらしい。夢を覚えていたり、寝言を言ったりするのは何十年振りであろうか。私も驚いたが、妻も驚いていた。夢は見ていたとは思うが、目が覚めた時にそれを記憶していることは少なくともこの30年、否40年は記憶にない。
 この時が5時半ころ。そして次に目が覚めたら9時前であった。3時間以上熟睡したようだ。ずいぶんとすっきりとした朝を迎えることができた。

 疲労と浅い眠りののちに地震で目が覚め、夢を見て、そして熟睡、不思議なパターンだったと思う。