午前中はオンラインで「学んでから行く展覧会 ローマ教皇と芸術」という表題の講座を受講した。講師は中村宏美氏。
おもにグレゴリウス7世(1073-1085)から、ルネサンス期のシクトゥス4世からバロック期のウルバヌス8世(1623-1644)まで。後期は戦国時代末期の日本ともかかわりの深い時期でもあり、興味深いものであった。
長い時期を扱うので、90分の講義では駆け足になってしまったのは致し方ない。
ズームはうまく作動したようだが、しかし途中で一度ネット接続が切れてしまった。すぐに回復はして、受講には支障はなかったもののイライラがつのった。当分Zoomの利用には不便が咲き纏う。
春の嵐は収まったように思える。カラスも収まったと判断したのだろうか、鳴き交かわしながら数羽が団地の中で飛び始めた。西の空では地平線に近いところで雲が切れており、夕焼けが黄色く見える。いつものカラスの夕方のおしゃべりタイムなのだろうか。東の空にはかすかに虹が出現した。
私はできるだけ外界の気象状況の変化に敏感でありたいと思っている。近くの高層マンションでは、家族での宴会の大きな声が気象異常時でも聞こえることがおおい。気象状況を拒否する、というよりもまったく無関係に暮らしているように思えるのだ。
それに比べると元公団の建てた5階建ての団地は、気密性が高層マンションほど高くはないためだろうか、異常気象時にはシンと静かである。外界の異常が、気密性の低い窓ガラスや、外部空間に直接面した玄関扉から伝わってくる。
戸建ての住宅は、団地よりもさらに直接外界の影響を受けやすい。雨漏り、庭の樹木の揺れや折損の被害、草花や芝の被害などより直接的に住んでいる人に恐怖を植え付ける。
反対に、現代のビルの中で仕事をしていると、まったく気象条件と無関係に時間を過ごしてしまう。雨・風の音などほとんど聞こえない。意識的にならないと外の様子は伝わらない。
「より安全に」、ということが大気の息吹や大地の鼓動とは無縁なところに自分を押し込めるのではなく、「自然」とより密接な関係を維持しつつ、危険を避けることを考えたいと思う。それが「より安全に」ということにつながるのではないか。
私は、大気の息吹や大地の鼓動に敏感であることを、常に意識していたい。それらと直接に関わりながら生きてきた過去というのは、遠い過去かもしれないが、ごく近い過去でもある。その過去の人々の、文学や芸術にも表現されてきた豊かな感性を身近かなものとして受け止めるためにも、常に意識していたいと思う。気象災害時、地震時にも、避難を余儀なくされたときの生活にも、何らかの糧になる。人はそうやって生き延びてきたと思う。
雨は峠を越したようだ。私の住んでいる地域の上を時間雨量換算で80ミリを超す雨の区域が通り過ぎて行った。
14時半頃に港北区で1時間に35.5ミリを記録していた。最大瞬間風速も15時前に横浜の中区で18.4m(北西)を記録している。
今も時間雨量に換算して20ミリの雨が降り続き、雷も遠くなったようだがまだ雷鳴が時々聞こえる。風は北よりの風が続いている。どうにか少しは弱まっている。
春の嵐というのは「3月から5月にかけて、北から入り込んでくる冷たい空気と南から流れ込む暖かい空気がぶつかりあい、低気圧が急速に発達して生じる激しい気象現象。台風並みの暴風や猛吹雪、海岸では高波となることもある」ということらしい。その定義通りの天気である。
これからさらにこの低気圧が発達するため、東北地方ではもっと激しい風雨になる見込みとのことである。
13時40分頃から雨が急速に強くなり、とても暗くなった。同時に雷光・雷鳴が近くなってきた。
大雨警報・洪水注意報、横浜市からは豪雨情報も配信。
パソコンの電源を落とし、スマホに切り替えた。
朝8時前に雨の音で目が覚めた。現在横浜市域には大雨・強風・雷・波浪注意報が出ている。一時は洪水注意報も加わっていたが、10時過ぎに解除された。
神奈川県内には竜巻注意情報も出されている。藤沢・茅ケ崎では大雨(新水害)警報である。雨の区域が東に移動しているので、横浜・川崎市域も警報に切り替わる可能性がありそうだ。
この文章を作っている間にも、いったん弱まっていた雨足がふたたび強くなり、現在は最大20ミリの雨である。
これから東北地方は強い雨と風となるとの予報である。
この記事をアップした直後から、雷鳴が聞こえるようになった。近づいてこないでもらいたいものである。