「万葉集に出会う」(大谷雅夫、岩波新書)を読み終わった。久しぶりに万葉集の歌をいくつか自分なりに鑑賞できた。
この本では、冒頭からこれまで人口に膾炙している歌の読みが違っていると、指摘するところから始まる。
「石(いわ)ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも(志貴皇子)」という有名な歌について、途中の論は省くが、
「石そそく垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」
が正しいと結論付けている。確かに興味をそそられる指摘と推論であった。
同時に「さわらび」の季節が初夏である、という指摘にも驚いた。指摘のとおりである。これはすぐに同意できる。初春と位置づけるのは「垂見」が「垂氷(ひ)」と誤写された結果というのも理解できた。
さらに「東(ひんがし)の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ(柿本人麻呂)」「東の野らにけぶりの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」であるべきだと、としている。東の日の出や陽炎の「かぎろひ」ではないという。「炎」が「けぶり」と読む例をあげ、「けぶり」は「焼き狩りの煙」または「合図の狼煙の煙」としている。このほうが指摘のように父親(草壁皇子)の息子(軽皇子)が父親がした狩りを追体験する場の緊張感が確かに伝わる。
「炎」の字を「かぎろひ」と読ませた賀茂真淵の感性と語に対する感覚に、私は脱帽していた。輝かしい日の出の情景がこの一首の眼目だと思っていた。しかし長歌と4首の短歌はひとまとめに読むものである。狩りの情景を詠ったこの一連の情景からは狩りの緊張感と草壁皇子の雄姿を彷彿とさせる軽皇子の姿が浮かび上がってこなくてはいけない。著者の「けぶり」説と狩りの合図という解釈は「かぎろひ」の語感以上に魅力的である。
気になった個所は、自然に人間と同様に人の心を与える万葉集の世界観・自然観を説明する第2章。
「小川環樹「自然は人間に好意をもつか-宋詩の擬人法」は金星の宋代の詩にひろくみられるようになった擬人表現を考察する前提として、古代詩の擬人法をおよそ次のように概観する。〈「詩経」には‥擬人法を用いた例は極めて少ない。それが「魏・晋以降つまり三、四世紀の詩になるとやや目につき始め、五、六世紀の南朝の詩には相当多くなり、唐代(七-九世紀)ではますます多く見られ‥‥。擬人表現のその時代的変遷は、古代の中国人が自然にいだいた恐怖心がしだいに薄らいで、自然への親密感が増大していった過程と見ることができる。〉と引用したうえで、
「古代以来の中国詩の擬人法の変遷がこのように説明できるものなら、一方の万葉集の人たちの愛好した擬人表現は、逆に、古代の日本人が自然に対して深い親密感をいだき、人と自然との間に大きな隔たりを見なかったことの現れと言えるだろう。山どうしが恋愛し、波や葉や花や露などがもつとする擬人は、‥自然を恐れつつもそれと好感し、鳥もけものも草も木も、紙も人も互いに分け隔てなく交わり親しみあうように想像してきた古代日本人の心性の表現だったことになるであろう」。
これにはクエスチョンマークをつけたいものである。「古代日本人の心性」という言葉とそれに付随する思い入れが先に立って、中国との比較、中国の影響を初めから拒否している。ちょうど日本の国家形成時と重なる小川環樹の擬人表現の大まかすぎるとはいえ変遷が、日本の万葉集や記紀にどのような影響を与えるか、検証を是非期待したいと思った次第である。
日本人はどうしても「古代以来の日本人の心性」というようなところに逃げ込んでしまって、史的な変遷や影響関係を初めから拒否してしまう癖がある。これが世にはびこる「日本人論」の昔から変わることのない陥穽である。