Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

暑さは彼岸をすぎても‥

2021年09月23日 23時16分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は全国的な秋分の日ということで祝日であった。15時過ぎに百円ショップで買おうとして忘れていたものを購入しに行ったのだが、地下街の人出の多さに私はキョトンとしていた。本日が休みの日だと思い出したのは、百円ショップのカレンダー売り場のカレンダーを見たとき。我ながら迂闊である。毎日が休日なので、スケジュール帳で休日の表示をしていても、気にしなくなっている。
 百円ショップには目的のものはなく、家電量販店の文具売り場でようやく目当てのものを見つけて購入した。

 ウォーキングがてら横浜駅まで行ったので、喫茶店で一服。本日は暑かったものの、湿度は低く、外のテーブル席でアイスコーヒー1杯。コーヒー代が余計な出費と言われそうであるが、ここで45分ほどの充実した読書タイム。

 明日は晴れるが、気温は本日よりも低く、30℃には届かないらしい。ウォーキングは楽になる。7月・8月とその前の月の半分ほどにしていた。ここ数年いつも夏になると体調を崩すので、あまり無理はしないことにした。つい無理をしてしまう癖そのものを無くさないといけない。
 暑さ寒さも彼岸まで、というが、これまでにも10月に真夏日を観測した年が幾度かあるらしい。

 明日は妻も所用があり、昼前には出かける。さて、どのように羽をのばすか。結局いつものとおり、歩いて横浜駅または他のJRの駅、または神奈川大学を傍を通っていくつか先の私鉄の駅まで歩いて喫茶店に入ることくらいしか思い浮かばない。
 貧困な行動パターンしか持ち合わせがない。悲しいものである。

 


「大岡信 架橋する詩人」 その3

2021年09月23日 21時54分11秒 | 読書

   

 著者は、大岡信の文章を多く引用している。
「遊びと見え、戯れと見えるものが、じつは精妙に練り上げられた秩序ある構造をもっとている場合、そこに投入されたおびただしい時間と精力と忘我の恍惚境とを思いみる必要がある。それは、強いられた無為の時をみずからのものとして奪いかえし、堅固な秩序を貫徹しようとする意志的な現れにほかならず、現実の秩序からはじき出されている痛覚を創造的に転換する自由実現の場にほかならなかった。そういう意味では、贈答歌の「うたげ」的な華麗さ、軽薄とみえるまでの奇想、パズル的な眩惑を生みだしているものは、現実への抵抗によって活力を与えられている充実した「弧心」にほかならないといえるだろう。」(「うたげと弧心」の「贈答と機智と奇想」の章からの引用。第4章「「唱和」のよろこび」)

「目覚ましい「連詩の国際化」だが、この集団制作については日本でも全ての詩人がもろ手を挙げて歓迎したわけではない。むしろ冷ややかに見る人も少なくなかった。「他人が見ている前で詩を作る」という「近代以降の詩作の一般的なあり方である密室の孤独な力わざとは、ずいぶん異質な要素」(大岡信「連詩の愉しみ」)を持つためでもあった。また完成し、発表された連詩を観賞しようとする読者にとって、ある詩から次の詩へのつながりが決して分かりやすい、読みやすいものばかりではないという「作品」としての難解さもある。」(第4章「「唱和」のよろこび」)

 そして私が大岡信について、注目し、関心を持っていたことについて以下のようにまとめている。この個所はとても大切な部分だと私は思っている。この本を読んだ収穫は、私がこれまで断片的に大岡信の著作でほのかに覚えていたことをここにまとめてくれたことである。

(「ヘルメス」の「創刊二周年祈念別巻」で)大岡信は「日本的なるものに対してはどうしてもなじめない」のが、自分や武光徹ら同世代に共通する感覚だと述べ、こう続ける。「いまでも僕はぜんぜんなじめないわけで、日本というものを極力相対化したいと思って、そのためには日本のものを扱わなければならないと思うから、和歌とか俳諧とか、そういうものに関心を持っているわけです。‥‥そういう意味では、自分は戦後すぐの時期にヨーロッパやアメリカに憧れたという、あの時代の雰囲気を持ち続けちゃっている‥‥‥むしろ日本的な美意識を相対化することによってしか生きていけないと思うから、その自覚によって一連の仕事をしてきている。」見逃せない自己分析だと思える。なぜなら、『紀貫之』以降、古典詩歌論に力を注いだことによって大岡は「日本回帰」をしたというふうに、しばしばみられてきたからだ。しかし、一連の仕事はむしろ日本的な美意識の相対化のためだったというのである。」(第4章「「唱和」のよろこび」)

「彼ら(60年代詩人)に比べると、大岡は「社会的なもの」を生のまま作品化することに新調だった。だが、この発言は逆からいえば、自分は社会的な問題に深く関心を寄せつつ、それを詩の中に安易に(方法の追求なしに)持ち込むことを厳しく戒めていた、ということになるのではないか。」
(第4章「「唱和」のよろこび」)

 

 


夕焼けと宵の明星と富士山と

2021年09月23日 19時19分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 写真左上に金星=宵の明星、右下に富士山。明星を目立たせるためには少し時刻が早すぎたようだ。もう少し暗くなってからのほうが良かったが、夕食に間に合わないので、断念。

   

 本日は久しぶりに「大岡信 架橋する詩人」の第4章「「唱和」のよろこび――『紀貫之』、『うたげと弧心』、『春 少女に』」、並びに第5章「詞華集の富と焦燥――『折々の歌』、『詩人・菅原道真』、田村隆一追悼詩」を読み終わった。
 じっくり読む心のゆとりが回復したように思えて嬉しかった。


舞茸ご飯

2021年09月23日 11時49分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 このところ日記風の内容ばかりであるが、ご容赦を。それが今の私の現状。コロナ禍のマイナスの余波かもしれない、と本日も他人事のようなつぶやきから。

 昨晩は久しぶりに宵の明星を見て、何となくウキウキ。そして夕ご飯には舞茸と揚げの炊き込みご飯を作ってくれた。とても美味しく食べた。秋の気分を満喫。いくつかの舞茸を残しておいて、それをつまみに食後のウィスキーを多めに飲んでさらにご満悦。
 さらに、寝る前にも茹でて皮をむいてあった栗3個を台所で見つけて、食べてしまった。普段は栗ご飯以外栗はあまり食べない。そのためこれは妻が自分で食べるために隠しておいた栗だったようだ。食べ物の恨みは怖い。年内は嫌味を言われそうである。

 午前中は俳句12句の清書のやり直し。4頁に分けたものを3頁にし、前書きを少し手直し。ようやく落ち着いた。これは明日にでも組合の会館に持参予定。