Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「最悪のシナリオもある」という警戒感を持ちたい

2021年09月03日 23時17分40秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 今週はとうとう神大の生協に注文した本を受け取りに行く機会を逸してしまった。午前中の強い雨で行く気を無くしたり、棚卸での休業日など出向いても店が開いていなかったり、とどうもうまく歯車がかみ合わなかった。土曜日、日曜日は生協も休みなので、雨が上がっても本は入手できない。
 その分、遅れていた読書が少し進んだので、今読みかけの本を読み終わってから、入手することになる。「積んどく」本が少なくなることは悪いことではない。
 本日はこれにて店じまい。パソコンの周りを片付けて就寝の準備。本日からタオルケットだけでは寒いので、夏掛けを出してもらった。

 
 さて、総理大臣が混乱の末にようやく辞意を示した。安倍前総理以来2代10年にわたり、憲法の規定を無視し、総理大臣の顕現を異常に強め、国会を軽視し、政治を私物化してきた政党に自浄作用など求めたくもない。
 彼らを支えてきた政治家は、また同じことをする。

 私は、今の総理大臣はひょっとしたら「コロナ禍」ということを理由として、短期間であっても衆議院の任期満了を無視して選挙を先延ばしするという、専制国家並みの無茶をするのではないか、という不安が拭いきれなかった。一応その恐れは多少は回避できたかもしれない。
 しかし彼らを取り巻いていた与党の国会議員は、国会開催の義務を果たさないままに任期満了を迎えたり、解散したりすることを支えてきた人間である。私はそのことを今でも恐れている。どさくさにまぎれて、任期満了という時期が迫る中、私の不安は完全には解消していない。

 戦争の不安、パンデミックの不安、コロナ蔓延の契機をつくるような全国選挙は好ましくない、という国民の不安を逆手にとって、勢力が少なくなる恐れのある選挙を回避する、専制者の口実である。今の総理とそれを支えている政治家への不信は極度に高い。

 残念ながらこの10年を見る限り、日本の政治体制を支える政治理念については、かなりの後進国なのであることが明らかとなった。現在は経済もそうなりつつある。
 政治家を善意で評価してはいけない。そのためのチェック機構は厳正に運用しなくてはいけない。
 


「西洋音楽の正体」(伊藤友計)から

2021年09月03日 21時40分25秒 | 読書

   

 本日も涼しいので、雨が止んだのを見計らって半ズボンではなくジーパンで横浜駅まで歩いた。昨日よりも少し気温は高く、そして何よりも湿度がとても高かったように思う。
 汗をかいて横浜駅近くのいつもの喫茶店にたどり着いた。店内は空いていたので外のテーブル席は止めて、中で涼みながら読書タイム。

 「西洋音楽の正体」(伊藤友計)の第5章を読み終えた。
「無調や十二音技法が調性を崩壊させたというのは実情に即していないと考える。まずなによりも、無調や十二音技法の作曲家たちの意図は調や調性の外に飛び出すことだったのであり、調や調性構造を破壊すること自体は彼らの目論見ではなかったはずである。従来の西洋音楽が24の調をフィールドとして数百年以上の長きにわたって壮大な音楽世界をつくってきたことは事実だとしても、音世界はそれら24の調の上でだけ展開するものでは決してないはずだし、また逆に数百年も経過した時点でそうした音楽政策が飽和し、限界が感じられたとしても無理はなく、だからこそこの閉塞した音世界の外で音楽をつくってみようという方向性はある意味至極もっともなこととも捉えられる。‥「調性の破壊」という文脈でどうしても看過できない音楽家が一人いる。その名はもちろん、ワーグナーである。」
「ワーグナーは減七の和音を、きれに絡めて他の七の和音や九の和音等を多用することによって従来の調性の文脈から明らかに離反しようとしている。」

 以下は次回に。