今週はとうとう神大の生協に注文した本を受け取りに行く機会を逸してしまった。午前中の強い雨で行く気を無くしたり、棚卸での休業日など出向いても店が開いていなかったり、とどうもうまく歯車がかみ合わなかった。土曜日、日曜日は生協も休みなので、雨が上がっても本は入手できない。
その分、遅れていた読書が少し進んだので、今読みかけの本を読み終わってから、入手することになる。「積んどく」本が少なくなることは悪いことではない。
本日はこれにて店じまい。パソコンの周りを片付けて就寝の準備。本日からタオルケットだけでは寒いので、夏掛けを出してもらった。
さて、総理大臣が混乱の末にようやく辞意を示した。安倍前総理以来2代10年にわたり、憲法の規定を無視し、総理大臣の顕現を異常に強め、国会を軽視し、政治を私物化してきた政党に自浄作用など求めたくもない。
彼らを支えてきた政治家は、また同じことをする。
私は、今の総理大臣はひょっとしたら「コロナ禍」ということを理由として、短期間であっても衆議院の任期満了を無視して選挙を先延ばしするという、専制国家並みの無茶をするのではないか、という不安が拭いきれなかった。一応その恐れは多少は回避できたかもしれない。
しかし彼らを取り巻いていた与党の国会議員は、国会開催の義務を果たさないままに任期満了を迎えたり、解散したりすることを支えてきた人間である。私はそのことを今でも恐れている。どさくさにまぎれて、任期満了という時期が迫る中、私の不安は完全には解消していない。
戦争の不安、パンデミックの不安、コロナ蔓延の契機をつくるような全国選挙は好ましくない、という国民の不安を逆手にとって、勢力が少なくなる恐れのある選挙を回避する、専制者の口実である。今の総理とそれを支えている政治家への不信は極度に高い。
残念ながらこの10年を見る限り、日本の政治体制を支える政治理念については、かなりの後進国なのであることが明らかとなった。現在は経済もそうなりつつある。
政治家を善意で評価してはいけない。そのためのチェック機構は厳正に運用しなくてはいけない。