Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜でも猛烈な雨

2021年09月24日 23時46分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夜に予定していた作業もひと段落し、夜のウォーキングに出かけた。一部西の空に少しだけ夜空が顔を出している個所があるほかは、ほぼ全天曇っており、星も月も見つけることはできなかった。
 横浜では警報も注意報も出ていないが、お隣の川崎市域には大雨(浸水)警報と大雨(土砂)・洪水注意報が出ていて、びっくり。レーダーの画面を見ると横浜市青葉区でも強い雨の区域が移動していった。横浜でも警報ないし注意報が出ていたのかもしれない。メールの配信はなかった。私の住んでいる地域では雨は降っていない。

 明日は曇空で、北東から雲が移動してくるとの天気予報であった。そして最高気温が25℃の予想、本日(29.9℃)よりも5℃も低い。
 明け方には雨も降る予想になっているが、日中は晴れ間も出るようだ。


「大岡信 架橋する詩人」読了

2021年09月24日 21時28分29秒 | 読書

   

 「大岡信 架橋する詩人」(大井浩一、岩波新書)を読了。終章に以下のような文章が並んでいた。大岡信の戦後の詩史、文学史、文化史、思想史できわだっていることとして、
「一つ目は詩作にしろ散文にしろ、言葉の選択が明晰で、表現として個性的な輝きを放っていること。二つ目に、批評の面で通時的にも共時的にも、すなわち古今の歴史の流れにおいても同時代の芸術文化諸ジャンルの平面においても、見通しがよく利き、バランスの取れた把握ができること。三つ目は、‥創造的な行為の本質を他者に開かれたダイナミックな営みとして捉え、またそのような創造の実践に努めたこと――である。総じてこれらの特徴は、人間への信頼と、未来への肯定的な姿勢を彼の作品にもたらした。」

「東西冷戦下の80年代においては同じ消費社会を論じた話題作でも山崎正和の「柔らかい個人主義の誕生」以上に吉本隆明の「マス・イメージ論」が読まれていた印象が私にはある。」

「さまざまな主義主張を持つ人々と付き合う際、大岡はある方針を立てていたように推測される。個々人のどのような考えにも、「教条」に陥らない限りは耳を傾ける、というものだ。たてえ党派性の強い人間であっても、その人が生み出す文学、芸術の創作物のうち「教条的でない部分」に目を注ぎ、評価しようと務めたように見える。要するに、世に生きて何らかの政治性を帯びない者などいないのだが、創造的活動に対しては、政治性ではなく、その文学性、芸術性で価値判断するという至極まっとうな態度である。しかし特に1950~70年代の「政治の季節」において、それは言うは易く行うのは困難な道筋であったにちがいない。」

 最後に引用した個所は、言わずもがな、とは思うが、一応私の日ごろの振舞いの基本でもあるので、とりあえず記しておくことにした。ただし、「「教条」に陥らない限りは耳を傾ける」だけでなく、「国家や宗教を前提とせず、自分の生活の部分から世の中を見据え、自分の頭で考えようとしている限りは耳を傾ける」というのが私の思いである。

 


ぎっくり腰が回復

2021年09月24日 12時30分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ぎっくり腰の症状はかなり改善された。特にここ2~3日は朝起床時以外は痛みを自覚することはなくなった。そして本日の朝は、ベッドから起き上がるときに壁に手をつかずに起き上がることができた。
 このまま筋肉のこわばりが再発せず、昼間も意識しない日が続くと日常が取り戻せる。今回はそれなりに時間がかかった。病院にも行かず、痛み止めも飲まず、塗り薬だけで何とか回復できた。

 午前中は、退職者会の作品展に出す「この一年の会の活動」の写真を整理。必要な写真の半分ほどをピックアップできた。残りは今晩。
 これよりいつものとおりウォーキングに出かけて、喫茶店で読書タイム。「大岡信 架橋する詩人」の終章を読む予定。時間が余れば、「古代文明と星空の謎」の残りを読む予定。
 手間のかかったサイフォンで淹れたおいしいコーヒーを飲む予定にしていたら、妻から全国展開の安売りの喫茶店のチケットをもらってしまった。9月いっぱいが有効期限ということで、これを使わされることに‥。