本日は妻も一緒だったので、杖を突かずに外に出てみた。ただし痛み止めは服用した。足の痛みは少なくなったものの階段の下りはまだきつかった。
明日は、印刷会社まで出かけることになった。昨日に急遽決まった。午後は整形外科。一人で出かけるので、杖を持参で出かける予定。
本日もゆっくりとお風呂で温めてから23時前には就寝予定。いつもより入浴も、就寝予定も早いが、本日はとても疲れた。
本日は妻も一緒だったので、杖を突かずに外に出てみた。ただし痛み止めは服用した。足の痛みは少なくなったものの階段の下りはまだきつかった。
明日は、印刷会社まで出かけることになった。昨日に急遽決まった。午後は整形外科。一人で出かけるので、杖を持参で出かける予定。
本日もゆっくりとお風呂で温めてから23時前には就寝予定。いつもより入浴も、就寝予定も早いが、本日はとても疲れた。
亡くなった叔母の家の片付け、親族が集まって出来る範囲の片付けは本日をもって終了することにした。残った家具等の廃棄と最終的な部屋のクリーニングが残っているが、これは業者にお願いすることにしている。
96歳でも一人暮らしを貫いてきた叔母である。しゃきっとしていて、きれい好きではあった。また私のいとこが時々は一緒に病院に行ったり、銀行に行ったりして面倒は見てくれてはいた。が、やはり90歳も超えると、一人暮らしでは、家の中の清掃は高いところだけでなく隅っこなど行き届いていない。それは止むを得ないものである。故人を偲びながら、残された者で後片付けをしていた。
90歳を超えている私の親ともうひとりの叔母も含めて7人での片付けは素人なのでなかなかスムーズには行かない。正午直前から15時半過ぎまで、かなり疲れた時点で作業を終了した。
帰宅してから夕食を準備するのも大変なので、本日も夕食は外食。
最近は夫婦そろって忘れるものが多いようだ。「この書類は大事だから失くさないように仕舞っておこう」となって、どちらかがファイルに入れて引き出しなどに仕舞う。そうするとどこに仕舞ったのか1週間も経つと忘れてしまっている。
夫婦二人であちこち探し回って、ようやく見つけ出すという時間の無駄を幾度か繰り返している。「どこに仕舞ったのか忘れる」というのが、一番始末が悪い。
年間2万円も払えば、銀行の金庫などを利用できるそうだが、そこまでの出費はしたくない。おのずと家の中のどこかに保管=仕舞うしかない。
2~3日前から妻が、そして昨晩から私が、それぞれ大事な書類を探し回った。昨晩から探し始めた書類は今朝になって妻が「大事だから」といってファイルに入れて、ある場所に仕舞ってくれていた。それをようやく見つけることが出来た。それも偶然である。妻が「ここの部屋にはないはず」といった部屋の片隅で妻がそれとなく開けた棚のなかに変わったファイルを見つけた。意外なところにあった。
妻が探している書類はいまだ見つけられない。これも棄ててはいないはずなので、どこかにあるはずである。
65歳を境に体力の衰えを強く感じたし、病気も出てくる。記憶力は70歳を過ぎて大きな曲がり角を回ったようだ。こういう自覚が老いの兆候ということで、逆に体力や記憶力を減退させるのかもしれない。実際は些細な体力や記憶力の減退だが、「衰えた」と思い込むことでそれを増幅している可能性もある。実態と思い込みが相互に作用していると思う。
そんな騒動があった日曜日の朝である。これより、その物忘れ夫婦がそろって出かける。二人そろってどこに向かっているか忘れてしまう、あるいは帰り道が分からなくなる、というところまではまだ遠いとは思っているが、意外と近いのかもしれない。