Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

頭のてっぺんが寒い

2021年12月25日 22時06分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先日も記載したように髪の毛を極端に短く刈ってもらった。途端に寒気が列島を覆ってきた。
 頭が寒い。先ず頭で寒気と冷たい風を感じる。顔でも手でも耳でもない。それも頭のてっぺんで感じる。
 23歳までは髪は耳を覆うまで伸ばした。30代では耳を見せるようになった。50代からは左右と後ろは3ミリのバリカンで刈って貰うようになった。残りの毛のあるところは5〜10センチで通してきた。

 これまではてっぺんの毛の無いところが広がるにつれて髪を短くしてきた。最近長くしている部分が白いバーコード状に見えるのではないかと思った。
 50代のはじめに全体を3ミリのバリカンで短くしたら、妻が極めて不機嫌になって怒った。しかし今は何も言わないどころか、「いいと思う」と言うようになった。もう諦めたようだ。「歳相応」ということなのだろうか。


「世紀末美術」(高階秀爾)

2021年12月25日 20時28分20秒 | 読書

   

 夕方から読み始めたのは「世紀末美術」(高階秀爾、ちくま学芸文庫)。「万葉読本Ⅱ」はこの書物を読んでからにする。やはり美術関係の本を読まないとちょっと落ち着かない。

 本日は著者の「新装版あとがき」と「文庫版あとがき」、鶴岡真弓の「解説」、そして著書の「結び」から読み始めた。この書物は1963年に発刊したとのこと。高階秀爾31歳のときである。構想は23~24歳ということだから、学生時代直後には構想していたようだ。

(十九)世紀末の西欧世界は、ルネッサンスに開けた実り多き一日の黄昏を迎えようとしていた。ルネッサンスとともに「現実的なものにひそむ詩情」を見出した人間は、その後四世紀にわたって、その詩情を歌い続け、その芳醇な香りに陶酔していた。しかし、今やその明るい歌声も、‥世紀末の夕暮れとともに消え去ろうといていた。‥人間はようやく、その公開の華やかで多彩な成果にもかかわらず、ふたたび自己自身に対する疑惑と不信とに直面しようとしていた。二十世紀芸術に大きな意味を持つようになるさまざまの問題は、すべて十九世紀から二十世紀へのこの転換期に提出され、新しい発展を約束されていた。その意味でこの世紀末の時代は、十五世紀のルネッサンスによって幕を開けた西洋近世の終焉を告げるとともに、新しい時代の出現を予告する第二のルネッサンスの始まりでもあった。‥第二のルネッサンスが、第一のルネッサンスに比肩し得る豊かな成果を誇り得るか否かは、われわれ自身に課せられている‥」(「結び」)


二日酔いと干し柿

2021年12月25日 17時25分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 

 昨晩は今年最後の飲み会。少々お酒が過ぎたようで、帰宅後いつものように足を石鹸で洗った。次に妻と会話をしながら、パソコンを立ち上げ、メールを送るために書類をスキャナーしようとして、読み取り台の上に置いた。
 そこまでは記憶しているが、いつの間にかパソコンの前で寝息を立てている自分に気が付いた。あまりの眠気に、着替えもせずにベッドに直行して寝てしまった。無意識に着ていた服などは脱ぎ捨てて、下着だけになっていた。
 目が覚めたのが朝の5時過ぎ。急いでパジャマを着、夜に服用するはずの薬を3合の白湯で飲み、目薬をしてからまた寝てしまった。次に目が覚めたのが8時半。シャワーを浴びて、下着を取り換えて、ようやくすっきりとした。二日酔いに良いという、干し柿もひとつ食べてみた。そのためとは断定できないが、二日酔いにはならずに済んだ。

 先ほどまで弱いながら冷たい雨。短時間で上がったものの寒さは厳しい。

 昼過ぎに、今晩の食材と正月用の食材の一部の購入に付き合い、4千歩ほどを歩いた。帰りはバスを利用。
 読書タイムを確保する気持ちのゆとりはなかった。