本日「「海の民」の日本神話」と「画聖雪舟の素顔」を読む合間に、「現代語訳老子」(保立道久、ちくま新書)から「老子」の第31章の箇所を読んだ。
読み下しは「夫れ兵は不祥の器にして、物或(つね)に之悪し。故に有道者は処(お)らず。‥兵は不祥の器にして、君子の器に非(あら)ず。已むを得ずして之を用うれば恬淡なるを上と為し、勝ちても美(うま)しとせず。もし之を美しとする者あらば、是れ人を殺すを楽しむなり。夫れ人を殺すを楽しむ者は、則ち以て志を天下に得べからず。‥人を殺すこと衆(おお)きには、悲哀を以て之に臨み、戦い勝てば、喪礼(そうれい)を以て之に処(お)る。」
次のように訳している。「兵器は不吉な道具であり、その物の気配は常に禍々しい。有道の士はその場にいないようにしたい。‥兵器は不吉なものであって、本来、君子が用いるべきものではない。やむを得ず用いる場合は淡々と薄暗い気持ちで、勝っても上手くいったとも感じない。上手くやったなどという者がいれば、それは殺人を楽しんだということである。殺人を楽しむような者は、世の中で自分の志を得ることはできない。‥敵を多く殺せば悲嘆の気が場に満ち、戦勝はまさに葬礼の場となる。」
「兵は不祥の器にして、君子の器に非ず」(兵者不祥之器、非君子之器)。よく心得ておきたい。