Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

代わり映えしない日

2022年10月03日 22時27分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日までとは違って雲の多い日であった。しかし最高気温は27.5℃と平年よりも高め。明日はさらに3℃ほど高いらしい。
 雲も南の方角に黒い雲が出ていて、少し不気味。ただし明日は晴れるとのこと。天気が崩れるのは明後日から、かなり気温が低くなると予想されている。

 本日ようやく岩波書店の広報誌の「図書10月号」が配達された。いつもは月が変わる前に手元に届くのだが。定期購読の「星ナビ」も本日配達。これもいつもより遅い。
 配達する郵便の都合のようだ。数日遅れても特に支障はないので、気にはならない。

 本日は横浜駅でいつものとおり、特に用もなくお店をいくつか回って、喫茶店で読書タイム。空いていた。
 帰り際、バス停で空の写真を撮影したら、何となく胡散くさそうな目で見られた。



 明日は「図書10月号」に目を通すことにした。


「画聖 雪舟の素顔」 その2

2022年10月03日 21時42分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

      

  午後から「画聖 雪舟の素顔」の第1章「天の橋立図の謎」(朝日新書)を読み終え、第2祥「雪舟あらわる」の半分ほどまで。

雪舟のスケッチの目的は別にあったのではないか‥。一色氏の本拠である丹後府中の細かな情報を伝えること。それを求めたのは、雪舟が仕えていた、山口の大名・大内義興だった。‥「天橋立図」はいわゆる「ゲイジュツ」ではなかった。アーティストの李禹煥(リ・ウファン)は、雪舟だ大好きだけれど、「天橋立図」は全く認めない。‥李さんが絶賛する「秋冬山水図」の内の一幅とはまったく感覚が違う。‥それは「文雅」と抱き合わせになった「軍事」であり「政治」だったのだと思う。」(第1章「天橋立図の謎」)

 80歳を超えた雪舟が周防を拠点とする大内氏が足利将軍を擁して上洛するために、一色氏の協力を得てその拠点である丹後半島の詳細地図を手に入れるために雪舟に依頼したのがこの図であるとの見解である。
 難点はでは戦闘となる候補地の他の地図はどうなっていたのかの検証が無いことであろうか。しかし確かに「芸術」作品とは違う書き込みや、あまりの詳細な描写、風景の再構成などがないことの理由にはなると思える。


潔く去るという覚悟(自省録より)

2022年10月03日 11時49分09秒 | 読書

 今朝、本棚をいじくっていたらマルクス・アウレリウスの「自省録」(神谷美恵子訳、岩波文庫)がたまたま机の上に落ちてきた。昨日隣にあった「現代語訳老子」を戻した時に不安定になっていたらしい。久しぶりに開いた頁に目を通した。栞がはさまっていたので、前回目を通した箇所であったのだろうか。
すべて次のようなことを君に強いるものは、自分に有利なものしてこれを大切にしてはならない。たとえば信をうらぎること、自己の節操を放棄すること、他人を憎むこと、疑うこと、呪うこと、偽善者になること、壁やカーテンを必要とするものを欲すること等。なぜならば自分自身の理性と、ダイモーン(人間の内なる神性)と、その徳に帰依することとを何よりもまず選び取った者は、悲劇のまねごとをせず、泣き声をださず、荒野をも群衆をも必要としないであろう。・・・・。自分の魂が肉体に包まれている帰還が長かろうと短かろうと、彼は少しも構わない。なぜならば、もう今すぐにも去っていかなくてはならないとしても、慎みと秩序をもってえおこないうるほかのことの場合と同じように、いさぎよく去っていくことであろう。一生を通じて彼の唯一の念願は、自分の思いがいかなる場合にも理性的な、市民的な存在としてふさわしくないことのないように、というこの一事なのである。」(第2巻 七)

 この自省録は処世訓的な部分が多くて、警句の集まりではある。嫌味な部分や鼻持ちならぬと思うこともある。倫理・規範として身についていることをことさらに云い募らなくても、という思いもしながらそれでもときどき目を通す。
 今回引用した部分、前半はそれがあたはまる。しかし後段は、私のように70歳も超えるたときの「覚悟」として突きつけられて、ハッとすることもある。そこがこの自省録が人をひきつける所なのかもしれない。
 潔い去り方というのは、どういうことだろう。嫌われずに去るのが潔い去り方、とは絶対にならない。良い意味でもがきながら去ることで、感銘を受ける先達を見て来た。ふと消えてしまって、感銘を受けた先輩もある。生き様という見事な背中を追いたくような退場の仕方をしたいものである。しかしこれは自己演出しても出来ることではない。
 飄々として淡白に、しかしこだわることにはこだわり続ける執念を見せて消えていきたいものである。