Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

いつの間にか出不精?優柔不断?

2022年10月09日 23時13分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 明日が全国的に休日であることは認識していなかった。明日は予定が入っていないのを見て初めて気がついた。横浜は昼近くまで雨が降るらしい。しかしせっかく午後は晴れるのだから、出かけてみたいとは思う。
 とりあえず思いついたのが、松涛美術館の「装いの力-異性装の日本史」と国立西洋美術館の「ピカソとその時代」展。しかし後者は日時指定の事前予約制。

 本日の日曜美術館で、「生誕100年 朝倉摂展」が神川県立近代美術館葉山、練馬美術館、福島県立美術館等で開催されていたことを知った。見に行こうとしたら、残念ながら既に会期を終えている。福島県立美術館は16日までの会期だが、まさか福島まで見に行くわけにもいかない。
 図録を手に入れたい気もする。

 出かけたいところ、手続きをしたいこと、いろいろと思い浮かぶが、どうも最近は体を動かすのが億劫とまではならないが、決断が遅いのが気になる。

 今、横浜市より大雨注意報が着信した。先ほど遠くで雷がなっていた。今晩はだいぶ雨が降るらしい。


「画聖 雪舟の素顔」 その3

2022年10月09日 20時59分15秒 | 読書

      


 昨日までに第3章「雪舟のイメージ戦略」を読み、本日は第4章「雪舟入明」を読み始めた。
雪舟関係の史料だけを見ていると、雪舟が作り上げた自己イメージしか見えてこない。「如拙-周文-雪舟」という「相国寺正系」も、朱熹を慕うという「文人」のイメージも、雪舟自身が伝えて「書いてもらった」ものなのだから。
禅僧というと、ひたすら坐禅をしているイメージがあるが、ここまでも触れて来たように、室町時代の禅僧は実に多面的な存在だった。禅僧という宗教者であると同時に、中国通の知識人で、語学にも強いから外交文書の起草もする。遣明使にも正使をはじめとして多くの禅僧が随行しており、政治の矢面に立つこともあった。‥詩文に直接の政治の話は出てこない。詩文の贈答という文雅のオブラートに場を包みながらの「禅宗政治」。「文雅」の裏に「政治」が見えるのは「天橋立図」と同じである。
大内氏は「画僧」であることと、「知客」であることを合わせて、雪舟をスカウトしたのではなかろうか。要するに、雪舟は最初から「大内の画師」であるだけでなく、「絵を描ける大内のスタッフ」として抱えられた‥。細川氏の使者に対応し、(遣明使の)大内船の責任者を案内しながら、ミーティングにも陪席する。雪舟は山口における最新の政治・軍事情報に接していた。大内氏の情報システムの外部との接点にいたことになる。史料に残る事績は本の一部に過ぎない‥。
「「雪舟がなぜ山口に行ったのか」というような問いに対して「中国に行きたかったから」というような‥答えを求めがちである。‥歴史的な人物や芸術家の話になると「自分のことは自分で決めた」というイメージが強い。そのように人生を選択できる人は、そうはいない。多くの場合、時代や偶然に左右され、また気分や流れに身を任せ‥。

 このあたりの指摘はなかなか説得力がある。人生、「合目的性」や常に将来の意識的に見つめた自己の選択が後付け的に説明されるが、本当だろうか、と自分の生涯を振返りながらいつも疑問に思っていた。
 常に小さな選択の中で、自分なりにもがき続ける中で、人格や成功は訪れるものであることに自身を持ちたいものである。


混雑と渋滞と雨、雷注意報

2022年10月09日 19時36分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は退職者会の事務作業を少々。午後からは読書タイム。しかし家に籠っているのが嫌で、15時に横浜駅まで出かけた。雨は降ってはいなかったが傘持参。なお、雷注意報が出ていた。

 横浜駅はものすごい人出で、地下街も家電量販店も書店も人とすれ違うのが怖いほどであった。ジャズプロムナードの演奏は横浜駅では改札の中ということで、断念。たぶんすごい混雑だったと思われる。家電量販店でいくつかの商品の値段を見比べてから早々に退散のつもりであった。

 ところが強い雨のためか、バスターミナルも混雑。いつものバスは混雑が予想されるので、少し遠回りのバスに乗った。座れたもののいつもよりは混雑。さらに途中の道路が混雑して渋滞。傘を持参していなければびしょびしょになっていた。雷はまだ音が聞こえてこない。

 雨の音が部屋に充満。