「画聖 雪舟の素顔」の第4章「雪舟入明」を読み終わった。いつものように要点をいくつか。
「(当時の明の絵画の特徴は)荒々しい筆遣いと「整った」とは言いがたい画面構成は、雪舟の持ち味であるパワフルさと荒っぽさ、そして独特の空間感覚にぴったりだった。京都の繊細な画風には合わせられなかった雪舟だが、中国ではむしろ自分の資質に近い画風が流行っている。・・「日本でもやっていける」という確信を持てたのも大きかった。‥帰国後の雪舟は中国で得たものを上手にアレンジしながら、日本でも受け入れられる絵を描いて行く。自己の造形感覚を殺すことなく、周囲の要求に応えて多彩な作品を生みだすすべを我がものとした。」
「もうひとつの「中国の大自然」の体験は同だったのか。‥実際に中国の風景を見たことによる最大の成果は「山水画」ではなく、‥「随行カメラマン」としての技を身につけたことだったのである。‥現地の印象とそのスケッチに絵図などからの情報も組みあわせて「リアリティ」と「分かりやすさ」そして「実用性」を兼ねそなえた、水墨による写生風の風景画を作り上げる。それは、当時の日本では画期的な「ヴィジュアル情報化」の方法だったのである。」
雪舟は、この章の結論からすると、日本にかなり画期的な絵画のあり方をもたらしたようだ。それは中国絵画の模倣ではなく、自分の資質と、禅僧という社会的な役割を積極的にアピールしながら勝ち取った人間関係との合作、ということになるようだ。
「随行カメラマン」「ヴィジュアル情報化」という表現がなかなか説得力のある指摘だと感じた。