日本シリーズをボーッと見ているうちに30分ほど寝ていた。特に贔屓のチームがあるわけでもないし、今回も応援したいチームが対戦しているわけでもない。ヤクルトというチームがずいぶん強いチームだということは聞いている。またそれを応援している友人もいる。
地元でいえば横浜ベイスターズということになる。応援している友人も身の回りに多数いる。いづれの友人たちも楽しい友人なので、それなりに意識をして野球を見ている。
まだ横浜が最下位をうろうろしていた頃は、切符が手に入りやすいうえに安く回ってきた。その切符で妻と時々球場に見に行った。鋭い打球が飛び交う球場は、夏場にビールが美味しく飲める場所でもある。
横浜側の席ばかりなので、いつの間にか手拍子などもそれに合わせるようになってしまう効果もある。球場というのは周囲がせりあがっており、その音響効果とあいまって気分は解放的になる。不思議である。
しかしスポーツに親近感の湧かない私は、それ以上に踏み込んでどこかを熱狂的に応援するという境地にはなれない。私が好きなのは、横浜側の席でも相手チームのユニフォームを着た観客がいて応援していることだ。反対側にも同じように応援しているチームが違う観客が混在している、というのは私にはとても好ましく感じている。そういう観戦の仕方がある限り、プロ野球というのは生き残るような気がする。
サッカーの熱狂的な応援を見ていると、あの熱狂には私はとてもついて行けないと感じる。それに比べると私は野球ファンが好ましく感じる。野球ファンでも熱中するあまり、同調圧力をかけてくる迷惑な人はいる。どんな場合もそういう人はいる。しかし少なくともプロ野球では身の回りにそのような人は熱狂的なサッカーファンに比べると少ない。
何かに熱中する、ということは私は好きだ。しかし静かな熱中が好きだ。他人に同調を強制する、周りが見えなくなる、相手を罵倒する、叫ぶ・・・そんな熱中が私は怖いと感じる。同調圧力が嫌いなように。